ローラ・アボット

米空軍アカデミー

「もし私が捕虜になれば、仲間の捕虜たちに信頼を持ち続けます。いかなる情報も漏らさず、仲間に危害がおよぶような行動は一切とりません。私が上官であれば、指揮をとります。そうでない場合は、私の上官となるひとたちの合法的な命令に従いあらゆる方法で彼らを支えます。」これが合衆国軍隊行動規範第4条で、米兵が捕虜として捕らえられた場合を想定して覚える規則の一部です。米合衆国空軍アカデミーの士官候補生として基礎訓練からはじめ、訓練上官に怒鳴られ柔軟体操を強制されるプレッシャーのなかで暗記をさせられたので、このメッセージは私の頭に叩き込まれています。その当時は無理やりやらされたことでした。しかし、日本軍捕虜収容所にいた米捕虜たちの体験を読んだあと、私は自分がしていた訓練の重要さに気づき、またこんな苦難を生き抜いた兵士たちが過去にいたことに、気持ちがひきしまる思いでした。

一方、高校1年生のとき交換学生として日本にいた私にとって、日本はその平和な時期を体験したことのある国なのです。当時の私の限られた日本語能力では日米関係や第二次大戦の事柄について、あまり深い話し合いはできませんでした。けれども、そのとき言われた言葉にショックを受けた二度の経験があります。一度はホスト・ファミリーのお父さんが私を座らせ、人類には農耕民と戦士の2種類があると言ったときです。彼は、日本人は昔もいまも農耕民でありアメリカ人は戦士だった。だから私たちは互いを決して理解し合うことはできない、と言ったのです。こんなステレオタイプな考え方で彼が私たちは決してうまく行くわけがないと信じていることに驚愕しました。私はいつも全くその逆に考えていたのです。私にとっての日本人はサムライかカミカゼで、アメリカ人は農夫でした。もうひとつの体験は、学校友達のお祖母さんと第2次大戦の話をしたときのことです。彼女は私がたいして日本語ができないと知っていたのですが、ただ延々と戦争と爆撃について話し続けました。私に分かったのはwar をいみするセンソウという言葉だけ、そして彼女がしてみせる爆発の身振りでした。でも彼女は何が何でも話し尽くしてしまいたいと思っている様子でした。彼女の亡くなった夫は戦争捕虜だったこと、日本では捕虜はさげすまれるがアメリカでは大切にされると聞き、私にこころを開いて語ったのだと、あとになって知りました。

これらの体験に加え、日本における米捕虜たちの経験と日本人の認識を自分で勉強した結果、私たち相互のよりよい理解のためには、両国の対話そして状況についての教育が必要と考えるようになりました。日本人のうちには自分の国に原爆を落とした故に米国嫌いのひともあるでしょう。真珠湾攻撃とバタアン死の行進のゆえに日本を嫌うアメリカ人もいるでしょう。日米の新しい世代と、戦争体験がありその出来事を覚えている世代が交代してゆくになかで、残虐行為の数々は、それが私たちを当惑させこころの平安を乱す事柄であるからこそ、忘れるべきではありません。人間性にたいする同じ犯罪をまた犯さないためにそれはしっかりこころに刻まれるべきです。それでこそ私たちはより深い絆にむすばれて共に前へ進めるのです。

マーク・ランダス著 「The Fallen (倒れたものたち)」という本に、マーヴィン・S.ウォーキンズ中尉と彼の搭乗員にたいし日本軍が犯した犯罪があばかれています。日本の田園地帯で撃墜され日本軍に捕らえられた一団のアメリカ兵は多くの苦しみに遭遇し、パイロットを除く全員が命をおとしました。搭乗員たちは九州帝国大学の医療スタッフによって行われた恐るべき医療実験で殺されたのです。まだ生きていて健康な兵士たちの身体部位が、講義や外科手術講習用に取り出されたのでした。医療上のこの残虐行為は東京裁判420として裁かれたのですが、この痛ましい話を読むまで、私は知りませんでした。かたやパイロットは尋問と交流のため東京の憲兵隊本部へ送られました。原子爆弾投下を認めさせることができると考えられたからです。憲兵隊は日本軍のエリート部隊で、収監した者たちのあらゆる人間性をはぎとり動物のようにしてしまうのでした。マーティン中尉と仲間の捕虜たちは、以前、皇居の馬小屋だった建物に収監されひどく残虐な扱いを受けました。その状況はおぞましいものでした。何ヶ月も日の光を見ることなく、トイレは箱がひとつ、数々の拷問手口、しらみ、だに、傷口の化膿、立ち上がることもままならず、無理やり四つん這いにさせられ地面から食べなくてはならなかったなど、まだまだ続きます。マーティン中尉と仲間の捕虜たちはやがて日本の降伏により自由の身になり、日本軍の手から開放されますが、彼の受けた傷は永遠に癒えることはありませんでした。この本は私の目を開かせてくれました。こんなにひどい非人道的なことが日本国内で起こり、謝罪されたこともなく一般に教えられることもない。これを知らずにいるならば、日米両国の文化の成長を著しく損なう可能性があります。過去に何が起きたかを知らなければ、どうして私たちは未来にそれが起こるのを防げるでしょう。ほとんどのアメリカ人はナチの収容所のことを知っていますが、日本で捕虜たちに何が起こったか知るひとはほとんどいません。また日本人がこれらの出来事を話してくれたこともありませんでした。

もうひとつ私たちがおよそ聞くことのない話は、連合国に捕らわれた日本人捕虜のことです。これが日本の米捕虜に加えられた残虐行為のいくつかの裏側にある理由とむすびつくように思います。日本軍兵士は中学時代から天皇を父として崇敬するよう訓練されました。新兵たちは、ささいな間違いより古参兵のビンタで顔面をはられて盲従を教えこまれ、また課せられた仕事が時間内にできないと野球バットによる集団制裁を受けました。(シュトラウス 36,37ページ)日本文化は国のために死ぬことは望みうる最高の名誉、と信じるよう価値感をゆがめました。(同上 38ページ)日本陸軍の「戦陣訓」は米合衆国の行動規範に匹敵するものですが、捕虜になったら日本人はどうするべきかを説明しており、それは自決することでした。この規約は特に述べています。「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ」(同上 38ページ)この思想のたたきこみがカミカゼ特攻隊員につながります。彼らは生きて帰るよりは戦場に死ぬことを本懐としました。これはまた捕虜として捕らえられた日本兵の多数が捕虜収容所で自決したこととも関わります。連合軍収容所で日本人捕虜たちはジュネーヴ条約の指針にもとづいて扱われました。医療をほどこされ、適当な宿舎を与えられましたが、それでも彼らはみじめでした。何故かといえば連合軍の捕虜となった立場を恥じるようたたきこまれており、それでもなお生きる意志は持っていたからです。1945年12月に日本は自国捕虜たちの本国送還をはじめましたが、彼らは帰国に関して非常な困難に直面したのです。捕虜たち家族ほとんどすべてが息子たちは名誉の戦死をしたと知らされており、彼らが生きて帰ることは、失望、あるいはショックと受け取られたのです。

2次大戦の日本軍は米捕虜たちの扱いと人間性をこころにかけませんでした。彼らにとって、自国兵士の命さえどうでも良かったのです。盲目的忠誠のたたきこみと日本国への奉仕が、命あるアメリカ兵の人体実験から自国部隊のリンチ事件に至るまで、多くの残虐行為をもたらしました。ぞっとするようなこれらの出来事について討議が行われなければ、将来それがまた起こることを防ぐことはできません。私たち二つの国は共に人間性の尊重を学ぶ必要があり、決して忘れない事柄としたいと思います。


参考文献

マーク・ランダス著 The Fallen: a True Story of American POWs and Japanese Wartime Atrocities. Hoboken, New Jersey: John Wiley and Sons, Inc., 2004.

ウルリッヒ・ストラウス著. The Anguish of Surrender. Seattle and London: University of Washington P, 2003.

(日本語訳:伊吹由歌子)