歴史の日エッセイ

アンソニー・ゼンデヤス

バタアン死の行進、あたりには死臭と嘔吐の悪臭が充満していた。もう歩けないほど弱ったものが処刑されるごとに、銃声がした。フィリピンのカバナツアン収容所には511人の捕虜がいた。そのほとんどが死の行進の生存者である。ヘンリー・ムッチ中佐は第6陸軍レインジャー大隊のロバート・プリンス大尉を選び、望みない運命にいる「バタアンの幽霊」救出作戦の計画と指揮にあたらせた。プリンス大尉はこの捕虜たちの命を救うためなら喜んで死ぬという歴史的な立場に立ったのである。プリンス大尉に率いられたカバナツアン急襲作戦は、私たちが大2次大戦の太平洋戦を考えるうえに大きな影響を与えている。彼は捕虜取り扱いの過酷な詳細を、またいまは退役した米軍人の真のヒロイズム、そして自由と命のため兵士たちが喜んでいどむ闘いとを世界に示してくれたのである。

捕虜たちは骸骨のような歩く案山子となり、つまづき、倒れ、太陽をさえぎるヘルメットもなく65マイルを越える距離をよろめき歩いた。エイビー・エイブラハムはバタアン死の行進にいた。泉に向かって走るひとりの兵士を目にしたときのことを語る。「喜んで彼は顔に水をかぶり、ごくごく飲み、また水をかけた。護衛兵が刀を鞘から引き抜いた。すばやい醜いひとかぶりで彼は刃を振り下ろし、そのアメリカ人の頭をバッサリ落とした。」また別のおり、お腹の大きなフィリピン女性がひとりの捕虜のまえに食べ物をいくらか投げた。彼が食べ始めたとき、「ひとりの日本兵がちかづくと捕虜の首を切り落とし、次に女の腹を切り裂いた」レインジャー部隊はこの行進の生存者を救出することにしたのである。救出襲撃には五つの分隊があたった; レインジャーズ、アラモ・スカウツ、フィリピン人ゲリラ、フィリピン民間人、そして日本人見張りの注意をそらす目的で上空を飛ぶ米軍機。襲撃は1945年1月30日に起こった。 危険を承知していたプリンス大尉は志願者だけを連れて行きたかった。襲撃のまえ、彼は部下たちに言った。「私は後ろを向くが、襲撃に加わりたいものは一歩前へ出てほしい。」「最初私は誰も踏み出していないと思ってしまったが、全員が一歩前へ出ていたのだ。実際、他の中隊のものたちは私たちが素晴らしいことをするよう選ばれていたことを知って羨ましがった。全員がこの任務に参加したかったのだ。」

ジュネーヴ協定は、戦時に投降することになった兵士たちの安全と人権保護のためにつくられた。マッカーサー元帥は敵の醜い下腹を暴くようなひどい悲劇のニュースを知らされた。日本は協定を破った。日本軍当局は「全員殺せ」の命令を発した。お粗末な防空壕のなかで家畜のように殺された112人の捕虜がいる。彼らはパラワン島で高オクタンの航空燃料で生きたまま焼かれた。11人の捕虜たちが生き延びてこれを報告した。日本軍は降伏を弱さのしるしと考えた。彼らは戦闘で死ぬか自殺をするよう訓練された。捕虜たちのことを「毛むくじゃらの悪魔」とよび、彼らは捕虜ではなく、永遠に日本の敵だと言った。救出作戦が行われて彼らが解放されなかったら、カバナツアンの捕虜たちは殺されていただろう。

襲撃の成功はチーム・ワークとタイミングにかかっていた。もしひとつ間違えば、彼らは成功できず、あれほどの多数を救出できなかっただろう。アラモ・スカウツは襲撃のまえウラ情報を得ていた。それから、プリンス大尉に率いられたレインジャーズが敵領30マイルの奥地へ「素早い行進」をした。最後の半マイルでは、平坦で広々と見渡せる乾季の田んぼを匍匐前進で尺取虫のように進んだ。これは奇襲とするために彼らがとった必死の策だった。そして、「突如まるで地獄のようになった。あちこちで叫びがあがった。」銃火のしたで捕虜たちは走りはじめ、床に這い、正門へむかってよろめき進んだ。「たとえ這ってでもここから出るぞ。私は二本のあしで、立って収容所を出た。」襲撃は30分で終了した。511人の捕虜全員が救出された。襲撃が成功したのは、日本軍が寝 こみを襲われたからである。フィリピン人ゲリラはカブ川の向こう岸で日本軍小隊と戦い側面から防衛した。レインジャーズは、フィリピン民間人たちから提供されたカラバオの引く100あまりの二輪車に、途中、捕虜たちを乗せてアメリカ戦線内に輸送した。

故国では捕虜たちとレインジャーズは英雄として歓迎された。1945年、ライフ誌戦場特派員がこのように書いている、「つぎの世代のアメリカの子どもたちは皆が、第6レインジャー部隊を知るだろう、これほど誇り高い話はかつて書かれたことはないのだから。」そしてその後、40年の沈黙がつづいた。彼らは通常の人生に戻らなくてはならなかった。

捕虜のなかには、それに対応できず、精神状態がおかしくなった者もいた。やりおおせることに専念し、ひどい体験はこころにしまい込んだ者たちもいた。死の行進生存者の捕虜のなかには、米国政府がまずヒトラーとの戦いを終えようとして彼らを見捨てたと怒り、苦い思いを持つ者もいる。二つの戦線での戦いは無理だと米国民が考えたために自国の政府が彼らを棄てたと彼らは考えている。わたしたち米国民は彼らを忘れてしまい、彼らがどんな体験をしたかなど気にもかけない、と多くの捕虜が思っている。

いま、わたしたちは捕虜の体験を民衆にしらせようという考えにたち、レインジャーズの英雄的行為をたたえ始めている。今日では我々は戦線から帰還する兵士たちの手助けをしようとする。3冊の本が襲撃について出版され、新しい映画も出ている。2005年の11月プリンス大尉はルイス基地の兵士たちに会い、監督とともに500枚の映画ポスターにサインした。プリンス大尉は言っている、「新しい世代が(大2次大戦)の犠牲について学んでいるのを見て、私は大変嬉しい」

マッカーサー元帥はムッチ中佐とプリンス大尉に殊勲十字章を贈った。ふたりはこの使命遂行により、1998年と1999年に特別奇襲隊栄誉館の一員となった。プリンス大尉は現在はワシントンのポート・タウンゼンドに住み、謙虚なひとがらである。賞賛は部下と捕虜が受けるべきで自分ではないと考えている。彼は捕虜たちに「人生第二のチャンス」を与える手助けのできたことだけを誇りにしている。

血、嘔吐、死、殺人、炎、痩躯、銃火、爆撃、病気そして負傷を、捕虜たちは体験した。戦争は悲劇であり、捕虜たちはひどい待遇を受けた。日本はジュネーヴ協定を侵害した。プリンス大尉は良い指導者でありロール・モデルである。「歴史はカバナツアンの状況をあの戦争のなかでももっとも劇的なものと位置づけた。」1945年シアトル・タイムズのインタビューに応えて、プリンス大尉は言った、「どこでも皆が私に感謝してくれます。この感謝は別のひとたちが受けるべきです。私はこの戦争で破壊的でない何かができたことに一生、感謝しつづけるでしょう。このひとたちを解放できた満足に比べられるようなことは他に何もありません。」50年ののちに彼は「そのときの真実はいまも真実」と言う。元捕虜ロバート・ボディ氏は言う、「みんなで私の命を救ってくれた。第 6陸軍レインジャー部隊は第二次大戦における私の英雄だ。」


ひとり芝居への過程

このトピックを選んだのは兄弟のため喜んで命の危険をおかす男たちをみたからです。捕虜救出をめぐる出来事は英雄的で、また悲劇的です。バタアン死の行進のあと捕虜たちがどうなったのかわからず、僕はもっと知りたくなったのでした。この救出作戦に興奮しレインジャーズの物語をしたくなりました。リサーチをすると、何千もの捕虜たちが日本が降伏するまで解放されなかったことがわかりました。彼らの体験したこと、それも知りたくなりました。それで僕は「地獄船」にゆきついたのです。

僕のリサーチはハンプトン・サイズ著の『ゴースト・ソルジャーズ』を読むことで始まりました。プリンス大尉が近くに住んでおられることが、ニュースのインタビューを見てわかりました。僕はプリンス大尉のご自宅で3時間彼をインタビューすることができたのです。個人的に何人かの方にお会いし、また僕のレポートを聞いた捕虜関連組織のいくつかとインタビューすることで 、このプロジェクトには独自の命がうまれたのです。歴史上のこの出来事を知っているひとたちにEメールで誰彼となく問い合わせを送りました。エッタ・ザンボニさんのおじいさんはバタアン死の行進の生存者でしたが、ぼくのEメールを読み、彼女はそれを「バタアン・コレヒドール防衛アメリカ人」の会に送りました。この会のお陰で、またエッタさんのご助力で、僕は元捕虜のリチャード・ベック、マルコム・エイモス、ジェイムズ・ヒルデブランドどそしてジョゼフ・カッシンの皆さんに、インタビューという特別の機会を与えていただきました。

本の著者ハンプトン・サイズさんはワシントンDCとフィリピンの友人から僕がリサーチしていることを聞き、何かできることはあるかと電話をくださいました。1時間、お話を聞かせてもらいました。ドキュメンタリーの「ゴースト・オヴ・バタアン」で歴史監修をなさったクリストファー・ライヴさんもインタビューしました。ナンシイ・クラー夫人はブラジル丸船上でのお父さんの死について話してくださいました。僕はまたワシントンDCで機密資料を扱われたチェニー司令官も探しだしました。この方々との個人的なコンタクト、そしてさらに多くがこの恐ろしいできごとに生き生きとした命を与えてくれたのです。

捕虜もレインジャーズも信じられないような体験をしたと思うので、僕はひとり芝居の形を選びました。ドラマによって僕と同年輩のひとたちへの教育になればと思いました。原稿を書いてから、捕虜たちがどう感じていたかを知ろうと、一週間、捕虜のふりをしました。雨のなか、3マイルを行進しました。乾し米を食べた。家にバタアン死の行進、飢え、なぐられる捕虜の写真やスケッチを掲げた。かびた米の茶碗をそばにおいて眠らずに過ごした。毎時間、僕は台本を練習した。このときに、僕は捕虜たちがどんな体験をしたかなお深く理解することができたと思います。

バタアン死の行進の最初から戦争の終りまで、英雄的な行為はつねにありましたから、僕のプロジェクトは「歴史のなかに立つ」というテーマに関連しています。捕虜たちは70マイルを行進し3年間のひどい待遇を生き延びるという位置にたっていました。フランク・ブリッジェットは「地獄船」中で仲間の捕虜たちを助けるという役をになった。レインジャーズたちは敵陣のなか30マイルも入り込むことを志願して、歴史に位置をしめた。彼らは捕虜たちを生きて連れ帰ることに命をかけたのです。

バタアンの望みなきゴースト・ソルジャーズ救出
作者・演技者:アンソニー・ゼンデヤス