「バターン死の行進」外相として初の謝罪 元米兵捕虜に 

朝日新聞
2010年9月13日

第2次世界大戦中にフィリピン戦線で旧日本軍の捕虜となり、「バターン死の行進」で生き残った元アリゾナ州立大教授のレスター・テニー氏(90)ら、元米兵捕虜6人とその家族が来日し、13日、外務省で岡田克也外相と面会した。岡田氏は「非人道的な扱いを受けご苦労された。日本政府を代表して心からおわびを申し上げる」と外相として初めて謝罪した。

 政府はこれまで英国やオランダなどの元捕虜を日本に招待してきたが、今回初めて米国の元捕虜を招待した。テニー氏は岡田氏に「今回は正義を達成するためのすばらしい機会だ」と謝意を示す一方、強制労働をさせた日本企業が戦後65年間、謝罪せず沈黙を守っていると指摘し「私たちに対する侮辱だ」と訴えた。

 テニー氏は1942年の「バターン死の行進」の後、43年に福岡県大牟田市の収容所に送られ、三井三池炭鉱で日本の敗戦まで強制労働させられた。

 元捕虜らでつくる「全米バターン・コレヒドール防衛兵の会」は日本政府に謝罪を求めたが、会員の高齢化などを理由に昨年5月に解散。麻生政権時代に開かれた最後の総会には藤崎一郎駐米大使が出席し、「村山談話」の言葉を引いて日本政府として初めて謝罪した。テニー氏は同会の最後の会長でもある。

 先の大戦をめぐり、今年8月には米国のルース駐日大使が広島の平和記念式典に出席するなど、日米間では「心の和解」(外務省関係者)に向けた取り組みが少しずつ始まっている。岡田氏はテニー氏らに「過去の苦い思いを、将来によりよい日米関係を築くためのきっかけにしてほしい」と呼びかけた。(高橋純子)