カルロス:生還の物語
J.L. カンクル
 

バターン死の行進と新潟捕虜収容所5-Bからの生還者であるカルロス・モントヤ氏の甥 J. L.カンクル氏は、叔父モントヤ氏の体験を綴った著書を最近出版しました。

そこに書かれたのは、モントヤ氏の戦時中の捕虜体験ばかりでなく、悪夢のようなその記憶と長年格闘した戦後の体験です。

カンクル氏は、インタビューとリサーチに4年、実際の執筆に1年の年月をかけて、この本を完成しました。彼はモントヤ氏について「彼は生きた金字塔である。戦争ばかりでなく、バターン死の行進ばかりでなく、私たち全員の金字塔である。」と書いています。
 


第23章 「パドルフット」から

(1945年の寒いある日、モントヤ氏は、トイレからすぐ仕事場に戻らなかったため、残虐な日本人監視 パドルフット から瀕死の状態になるまで殴られました。)

ビシッ!カルロスの眉間がぱっくりと割れた。ビシッ!彼の耳が割れた。ビシッ!棍棒が彼の後頭部に振り下ろされ、巨大な青い閃光が再びカルロスの眼底を走った。彼はさらに頭部と肩を殴られ続け、パニックに包まれた。カルロスは、監視がなぜ殴るのを止めないのか、理解し始めた。彼はまだまだ止めない。彼は始めたばかりだ!この監視は死ぬまで殴るつもりなのだ!
 

第28章 「終結を求めて」から

パドルフットと日本は、カルロスの健康を奪い、彼の青春を奪い、彼の人生の何年かを奪った。そしてさらに酷いことに、彼の人間としての尊厳を奪ったのだ。捕虜だった日々に日本が彼に為した全ての行為は、時が経つにつれて、カルロスの心の中で一人の男―パドルフット―のイメージに収斂していった。

彼は、自分の中の憎悪に人間の顔を与えたのだ。

 

第30章 「過去は過ぎ去った」から

(モントヤ氏は1972年、戦時中彼 を残虐に扱った監視 パドルフットを殺す決意で、新潟に帰ってきました。そしてかつて強制労働に就かされた臨港会社の埠頭に立ちました。)

私の耳にもう一撃を加えようと棍棒を振り上げた時の、侮辱に満ちた彼の目を、私は今でも思い出すことができる。彼にとって、私たちは動物以下の存在だったのだ。あいつはいったい何度、私を殺そうとしたことだろう。

でも私はとにかく生き延びたのだし、修辞的に問うなら、私たちが戦争に勝った後、彼が私を殺そうとしたことはあったのか。

一度もない。

彼がまだ生きていたとしても、今彼を殺すことに復讐以外の全く何の意味もないことに、私は気がついていた。彼はもう自分にとって直接の脅威ではなかったし、それを言うなら1945年から脅威ではなかったのだ。

あの頃は彼を憎むことが大事なことだった。それが私に生きる力を与えてくれていた。

その憎悪が自分の魂の中に深く棲みついてしまっていたのだ。彼を殺す以外に、いったいどうやってその憎悪の悪魔をを追い払えるというのか。

でもよく考えてみれば、その憎悪は自分が考えるほど深いものなのか。

たぶん、私は何か他のものを殺しに来たのだ。

過去の他の部分を、私自身の他の部分を。

戦争が終わってから、私は新しい人生を歩み出し、そして成功した。ビジネスで成功し、誰もが予想できなかったほど長生きし、人生経験を通して精神的にもずっと強靭になった。病気にも打ち勝ったし、恐れも乗り越えた。私は自分の人生を極めたのだ。

その全てがありながら、私はまだこの憎悪を必要としているのか。勝ち取った全てのものをなぜ今、冷たい血に染めて投げ出そうとするのか。

こんなことはやらなくてもいいのだ。追跡はここで終えることができる。それを決めるのは私だ。

それを決めるのは私なのだ。

 

私の心に変化が起きた。荒れたコンクリートの埠頭に立った私は、暗闇が明かりが差すように、啓示のように、突然気がついたのだ。パドルフットを殺しても、もう何の満足も得られないことを。死と生は、時としてあまり違わないことがあるが、そのような行為に何の満足も、また意味もないことを、私はやっと理解したのだった。私にとって、過去はもう過ぎたことだ。私はそれを後にして今を生きていた。

そして未来を。
                            
    30年代の臨港(写真提供:Greg Hadley)                                                                
                                                                                   
     
私は、過去の重荷に苛まれることなく、将来を展望することできた。自分が旧敵に対して抱いていた憎悪はずっと以前に消滅していたこと、ただ自分がそれを認識せずにいたのだ、ということが突然明白になった。パドルフットを殺すという重荷は、戦後のどの時期でも降ろすことができたのに、私は、あたかも重し石のように、憎悪とそれが生み出す毒々しい影響を、後生大事に自分の意思で抱えてきたのだ。

このパドルフットという男は、私にとって長い間、第二次大戦中3年10ヶ月にわたり自分を苦しめた日本人監視に対するあるゆる憎悪のシンボルとなっていた。この一人の人間を殺すことで、私は、長年の苦痛への恨みを晴らしたいと願ったのだった。どんな復讐によっても取り返すことができない失われた年月に、責任をとらせたかったのだ。

私は、ピストルの一発で過去を葬れると信じていた。しかし、私を過去に縛り付けていたのは、自分自身であったのだ。私は長い年月憎しみの中でもがいてきたが、よりよい生き方がいつでも別にあったのだ。自分の人生を生きることを、選びさえすればよかったのだ。

怒りに満ちた年月を経て、ついに私は勝った。私は、ついに自由の身になったことを知った。

埠頭の突端で泣きながら海にピストルを棄てた私を見た者は、誰もいなかった。私がそうしたのは、自由を勝ち取れたからだ。もうピストルは必要なかった。

クレーン操縦者に頷きながら、臨港会社の門を歩いて出たとき、そのときまで自分が背負っていたことさえ知らずにいた重荷から、解き離される思いがした。やっと自由になれたのだ。私は妻のオフェリアが待っているホテルへ、そして私自身の人生へ、帰途を急いだ。
 



モントヤ氏(92歳)とカンクル氏
 

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モントヤ氏の捕虜体験の詳細
 

モントヤ氏は2010年8月24日、逝去しました。