捕虜だった父よ安らかに
キャシー・ホルコム

Japan Times, 10月7日
A father’s POW years are put to rest

私と夫のジェフは9月8日、今は亡き父ハロルド・ヴィックが第二次大戦中に強制労働に就かされた四日市の石原産業を訪問するという、素晴らしい機会に恵まれました。

悪名高い「バターン死の行進」に生き残った後、彼はフィリピンの数箇所の捕虜収容所に入れられ、最終的に日本に送られました。日本に送られた約1万3千人の米捕虜のうち1,115人が非人道的取扱いと虐待により死亡したのです。

工場長の小林明氏は、石原産業が捕虜を強制労働者として使用したことに謝罪しました。彼は“謝罪”という言葉を率直に使い、うやむやな言い方をすることはありませんでした。私には、小林氏が状況上やむを得ずに仕方なくそれらの言葉を発しているのではなく、それが彼の心からの言葉であることが分かりました。私は涙をこらえることができませんでした。父に代わり、私はその謝罪を受け取りました。本当に、本当に父に聴いてもらいたかった... 残念なことに、彼は2007年7月6日、岡田克也外務大臣が2010年に日本政府を代表して行なった謝罪を受け取る前に、亡くなっていたのです。

工場のツアーで最初に行ったのは、この収容所で亡くなった捕虜たちのための慰霊碑でした。それは美しく、よく手入れされていました。父が “故国に帰れなかった仲間” として私に教えてくれていた人々のことを思いました。私は再び感極まってしまいました。石原産業の方々は、私がその慰霊碑に捧げられるよう、美しい花束を用意してくれていました。碑には次のように刻まれていました。

人がその仲間たちのために命を捨てるほど気高い愛はない。自由と民主主義のために第二次大戦で戦いかつ死んだ人々に捧げる。

そして慰霊碑の脇の説明版には次のように日本語で書かれていました。

これは第二次対戦中に不幸にもこの地で死去した占領軍兵士の墓碑である。私たちは平和への熱望の花束でもって彼らの霊魂が永遠に安らかに眠れるようにしましょう。

私はこの地で亡くなった父の友人たちのために祈り、「お父さんが来れなかったから、私が代わりに来て祈りましたよ。」 と父に語りかけました。

私たちはツアーを続けました。私は父が歩いたかもしれない道に立ってみなければと思い、バスから降りてよいかと尋ねました。その道を歩く父と彼の仲間の姿を、瞼を閉じて想像してみました。今こうして健康で食も足りた私が立っている道を、父は多分ありったけの力を振り絞って歩いていたのでしょう。

次に止まったのは、銅の原石が荷卸されていた埠頭でした。米軍による名古屋空襲を父が湾ごしに見ることができたのは、この場所だったのかもしれません。石原産業の人が、その近くにある建物は当時もあったものだと教えてくれました。私はそこに歩いて行ってその建物の壁に触ることを許してもらいました。父も、69年か70年前に同じ壁に触ったのだろうかと思いながら、私は硫黄や海の匂いを吸い込み、父がそこで体験したであろうことを考えました。この場所で父がどんなに辛かったかを思うと、涙が溢れてとまりませんでした。

この地で過ごした父の人生の暗黒の日々を思いながら、私は全てを吸収しようとしました。私が感じたことは、到底言葉では現すことができません。

応接室に戻ると、石原産業の方々は友情の印に台付きの扇子をくれました。それはとても美しいものでした。私は、従業員何人かの労働時間をわわざ割いてくれたこと、花束、そして謝罪に対して、石原産業の方々に心からの感謝を伝えました。私にとってはそれは本当に嬉しいことでしたし、父もきっと喜んだに違いありません

私は、「バターン死の行進」、フィリピンの捕虜収容所、捕虜を輸送した地獄船、そして石原産業が管理していた収容所の話を、父から聞かせられながら育ちました。彼は生涯を通してPTSD を患っていました。石原産業で働かさせられていた時、乗っていた銅の原石運搬貨車が脱線して怪我した脚の痛みは、一生消えることはありませんでした。

戦争と日本人から受けた残酷な取扱いは、彼の人生の一部でした。それは一日たりとも彼を離れることはありませんでした。もし彼が、収容所跡地を訪れて謝罪を受け、今そこで働く人々の誠実さを見ることができたなら、きっと気持ちが楽になったのではないかと、思います。

それはきっと、現代の日本人が彼らの前任者たちの行為を悔いていること、そしてもう過去を乗り越え前進するべきだということを、彼に示してくれたと思います。

日本への旅行中、私は広島の平和公園で日本の女性と一緒に平和の鐘を鳴らす機会にも、恵まれました。私たちはどちらも涙を流しながら、鐘を鳴らしました。私たちの世代は、日米がお互いを傷つけた過去から前進したいのです。私は、広島と石原産業を訪問できたこと、謝罪を受けたこと、赦す機会を持てたことに本当に感謝しています。彼らの親切は決して忘れません。父は私を誇りに思ってくれるでしょう。

石原産業は、戦時中の捕虜強制労働を謝罪した数少ない日本企業の一つです。他の三菱、三井、日本製鐵などの企業は今でもそれを拒絶しています。私は、これらの企業に石原産業を見習って欲しいと願っています。
 

 
小林工場長、ジェフ、徳留、土元副工場長、キャシー、木村総務部長