The National Interest 』誌
 2014年2月6日

歴史をめぐる日本の戦いがアメリカに上陸
英語オリジナル:Japan's War on History Comes to America 

エドワード・ジャックファート
 

バージニア州知事テリー・マッコーリフには、果たすべき約束があります。そしてそれは、彼と全てのアメリカ知事が、州民のために経済的脅迫に抵抗できるかを試す約束でもあるのです。彼は州知事選挙戦中、日本海を東海とも呼ぶと学校教科書に記述することへの支援を公約しました。日本は、この小さな付記に対し、バージニア州への通商と投資を控えるという脅しで応じたのです。

佐々江賢一郎駐米大使とロビイストの集団は、日本・韓国・北朝鮮・ロシアに囲まれた海域に二つの呼び名を許せばバージニア州への日本の投資を危険に晒すことになると、マッコーリフ知事に警告しました。日本政府は、日本の西方拡張主義と植民地主義の言語的名残りを維持したかったのです。朝鮮半島は20世紀前半を通して日本の植民地であり、その言語・地理・歴史・文化を放棄するよう強いられました。

日本の捕虜だった私は、日本政府が、植民地時代の歴史や旧日本軍による戦争犯罪への責任回避を弁護するために、経済的脅迫を使うこととを知っています。日本政府は2001年、ウエストバージニア州議会に提出された元捕虜への謝罪と補償を日本政府に求める決議案を潰したとき、これらの作戦を使いました。

2001年の春、ウエストバージニア州議会下院規則委員会は、下院並行決議案7号を全会一致で承認しました。しかし第81会期の終りであったため、下院本会議は決議案を審議する時間がありませんでした。私は、それが第82会期で上下両院で承認されると、約束して貰っていました。

在ニューヨーク日本領事はこの遅れに乗じて、決議案が採択されれば日本とウエストバージニア州の 良好な協力関係と強力な経済関係が損なわれるかもしれないと書いた手紙を、ウエストバージニア州議員や州知事などに送付する、という行動に出ました。日本は州の石炭も鉄鋼も買わないであろうということです。彼の警告は功を奏し、州の上下両院がこの決議案を審議することはありませんでした。

歴史を明確にしょうとする努力への日本政府の再三の介入は、日本の捕虜として私が耐えた屈辱を否が応にも思い出させます。私は米陸軍航空隊の整備兵で、1942年5月のフィリピン陥落とともに降伏しました。私は、他の何千人もの捕虜と共に、川崎汽船や三菱日本郵船が所有する 地獄船の悪臭に満ちた船倉に詰め込まれて日本本土に送られました。日本では、第二次大戦時の日本有数の4社の奴隷労働者として、虐待され屈辱的な扱いを受けました。私は、三井・日本製鉄・昭和電工・日清製粉で強制労働に就かされました。

60社以上の日本企業が、米国を含む連合軍捕虜そしてオランダ・インド・朝鮮・中国の民間人を奴隷労働者として使いました。それらの企業のほとんどが今も存在し、おそらくバージニア州で事業を展開していると思われます。そしてただの一社も、これらの労働者を使い虐待したことを認めておらず、謝罪もしていないのです。

バージニア州民はかつて、ホロコースト(被害者を絶滅収容所に輸送)に関して謝罪しようとしないフランス企業(Keolis)が、州の通勤電車路線の運行を許されたことに、疑問を投げかけました。彼らは今、住友・川崎・三井などの電車がバージニア州通勤電車路線を走っていることを問題にするべきです。彼らの工場・収容所の多くは、ナチスのそれに劣らないほど非人道的なものでした。

バージニア州知事は、日本からの脅しにひるまず、州の仕事を得ようとする日本企業に対し、企業責任を示す時がきたのではないかと、問うべきだと思います。これらの企業が何の咎めも無いままバージニア州で事業を展開することを許すには、あまりにも多くのバージニア州民(州生まれか移民かを問わず)が、これらの企業のために酷く苦しみました。

どの州知事も、彼の州に対する外国政府からの脅しを許すべきではありません。さらにはどのアメリカ人も、外国政府に対し、かつて彼らが虐げた人々を再び苛む機会を許すべきではありません。マッコーリフ知事が最終的に決断しなければならないのは、彼がバージニア州の子供たちにどのような教訓を学んで欲しいか―地理的名称に妥当な代替があるのか、或いは、彼らの州知事が脅しに屈し得るのか―ということです。
 

エドワード・ジャックファート氏は、ウエストバージニア州生まれで、フィリピンのミンダナオで日本軍の捕虜となった。 「全米バターン・コレヒドール防衛兵の会」(元日本軍捕虜の会)の代表を二度務めた。