捕虜問題が現代に問いかけるもの

小林昭菜     
法政大学大学院


現在私は大学院にて第二次世界大戦後のソ連における日本人捕虜について研究をしている。日本ではこの出来事を「シベリア抑留」という名で呼び、数多くの体験記が存在している。残念ながら日本政府は昨年、シベリア抑留者への補償を
10万円分の旅行券支給という形で幕を引き、最後まで彼らを捕虜ではなく抑留者だといい続けた。

私が「捕虜」というテーマに関心を持ったのは、シベリア鉄道の旅がきっかけであった。20歳の時モスクワに留学していた私は、休暇を利用してシベリア鉄道に乗り、ノボシビルスクという町まで2日間かけて旅をした。その時、モスクワとシベリアの違いすぎる環境に唖然とし、猛吹雪の中を走る鉄道の窓から見える森林だらけの自然環境や、たまに見える家の明かりが非常に印象的だったのを覚えている。旅から帰った後、シベリアについて調べていると、第二次世界大戦後60万人もの日本人がソ連に送られ、そこで強制労働を強いられていたことを知った。

戦争における捕虜問題は長い歴史の中で様々な議論がなされ、変化し、発展してきた。中世ヨーロッパ時代では、戦争は君主や王、領主、都市国家および教会間で行われ、捕虜の取り扱いは国ではなく、その者を捕らえた個人に属し、身代金の請求がなされていた。その後絶対王政時代に入ると、戦争は次第に君主の国家の問題となり、捕らえられた捕虜は個人ではなく国に属し、解放時の身代金や補償はそれぞれの国家が背負うことになった。そして三十年戦争、アメリカ独立戦争、フランス革命を経て、戦争は市民の構成する国民国家の間のものとなり、フランス人権宣言などの影響も受けて、捕虜の人権が問題視されるようになった。そして19世紀後半、人類はようやく捕虜に関する慣習法や慣例の法典化をハーグ条約、ジュネーヴ条約などの形で実現した。しかし、2度にわたる世界大戦はその理想を簡単に打ち砕いた。なぜなら、多くの捕虜は戦時中の経済効果をあげる労働力とみなされ、人権を無視した非人道的扱いを受けるようになったからである。

このように捕虜の立場は歴史上個人間から君主国家間、そして国民国家間の取り扱いに変わり、そのパワーゲームの下で、彼らはその争いに翻弄され、人間の肉体的限界を経験し、精神的苦痛を伴いながら亡くなり、または命からがら帰国の途に着いたのである。

2次世界大戦において、大東亜共栄圏を作ろうと国粋主義を発揚する日本軍は、多くの残虐行為や非人道的行為を行っていた。これは被害者、加害者などの体験者の声は勿論のこと、現在も続く日本に対する国際社会の批判や、隣国アジア諸国との不仲、国内における数々の戦後補償問題を挙げれば十分に分かることである。当然のことながら、それらの中でも「バターン死の行進」や泰緬鉄道建設が決して消えることなく人々の中に残っている。日本には当時、「生きて虜囚の辱めをうけず」という『戦陣訓』の教えがあった。これは捕虜になるぐらいなら死ぬほうが名誉なことである、という死を正当化する考え方であるのと同時に、捕虜になるような人間は侮辱されて当然であるという意味を含んでいた。日本軍はこの思想のもとで、イギリス、オーストラリア、オランダそしてアメリカなどの白人捕虜を虐待し、優越感に浸り、連合国に対する更なる敵意を高揚させていったのだろう。

US-Japan Dialogue on POWのホームページに掲載されていた体験記の中に、バターンでの死の行進を経験したレスター・テニー氏の次のような話がある。それは、マラリアで動けない捕虜を生き埋めにするよう二人の捕虜に命じた日本軍人が、それを断った二人の捕虜のうち一人を撃ち殺した、という話である。これは、『戦陣訓』の教えや国粋主義などの歪んだ思想がもたらした、日本軍人が犯した感情的で無慈悲な多くの行為の一例である。

このように捕虜問題は我々に多くの問題を示唆している。一つ目として、今日も続く人権問題が挙げられる。我々は人権を無視した日本軍の行動を直視し、過去から学ぶことが出来ているだろうか。そして二つ目に捕虜問題を通して垣間見ることができる人間の生き様、そして無意識の内に潜む人間の生命力である。私は、US-Japan Dialogue on POWで読むことができるレイ・ハップ・ハロラン氏の体験記で、逆境を経験し生き抜いてきた彼の言葉に感動した。彼は自身の経験を通して、「現実生活で抱える悩みのいくつかは何と小さなこと」、そして「いまの私を振り返り、以前とはくらべものにならないほど大きな価値を人生に見出している」と語っている。生死の極限状態を経験した彼の言葉は我々に生きる「意義」を教えてくれる。

最近日本では自殺者が急増し、2005年度は3万人以上の人が自らの命を絶った。しかし、シベリア抑留者や米捕虜の体験記を読む中で見えてきた彼らが起こした行動とは、そうしたものではなかった。まず食べられるものは何でも食べたこと、過酷な状況下でも周りの仲間たちと故郷の音楽を楽しんだり、互いを励まし合ったこと、神に祈った者、そして仲間を守るため自らの命を捧げた者や、帰国がかなわず仲間にその思いを託した者がいたことなど「人間の誇りとは何か」を深く問いかけている。

このように、第二次世界大戦後61年過ぎた今でも、捕虜体験者の声は非常に強烈で他人に訴えかけ、聞き手を飲み込む大きなパワーを持っていると私は思う。我々は一面的な感情移入ではなく、彼らと時間を共有し、歩んできたその一つ一つの体験を自身で消化しながら、自分の考えを持ち、そして次の人へ伝えるという草の根運動をしていく必要があるのではないだろうか。

第二次世界大戦とはなんだったのか。この戦争を知らず、それに興味を持たない人たちに是非考えて頂きたい。忙しい現代の人々は過去の歴史にはあまり興味がないように見えるが、一方で今という現在も良く分かってはいないのではないだろうか。過去を振り返るのではなく今も尚歴史の中の過程にあると考え、なぜ今の世界があるのかを日々の生活の中で考えて欲しい。現在の世界はこの戦争に関わった多くの人々の犠牲の上に成り立っているのだと私は思う。

戦争という犠牲の一つである捕虜。このテーマが私たちに教えてくれるのは、戦争の悲惨さ、人間の弱さ、愚かさ、そして何よりも生きたいと願う人間の生命力なのではないだろうか。