04 、05年、06年のニュース    07年     08年    09年     10年   11  14年

12/24/13

声を挙げる勇気

故アイリス・チャン氏とエブラハム・クーパー師に関するエッセイを掲載しました。

声を挙げる勇気をご覧下さい。
 


12/19/13

捕虜だった伯父の思い出

故ルイス・リード氏の甥、ノーマン・リード氏のエッセイを掲載しました。

叔父ルイス・リードについてをご覧下さい。
 


12/15/13
 

元捕虜ロバート・ヒーア氏の函館訪問

伊吹由歌子さんによる ロバート&カレン・ヒーアさんの函館訪問報告を、掲載しました。お2人の訪問は、地元の方々の支援で大変実りあるものになりました。 

函館訪問報告
 


12/7/13

米元捕虜に日本政府より栄誉

201312月2日、「バターン・コレヒドール防衛米兵の会」の最後の会長をつとめたレスター・テニー博士は、米国ワシントンの日本大使館で栄誉を与えられました。

日本大使館の やつかさとる 氏が テニー博士にメダルと表彰状を贈呈しました。テニー博士の居住するカリフォルニア州サンディエゴ地区選出のダレル・アイサ下院議員、ジエームス・ズムワルト東アジア・太平洋担当国務省次官補代理も出席しました。

表彰状にはこのように書かれています:

表彰状

日本国大使はレスター・テニー博士に対し
日本とアメリカ合衆国の間の
相互理解と友情を深化させるために為された
彼の顕著な貢献を認め
深甚の敬意を捧げます。

201312月2日 ワシントンDCにて

佐々江 賢一郎
駐アメリカ合衆国特命全権大使
 


ズムワルト次官補代理、やつか氏、ベティー・テニー夫人、テニー博士、アイサ下院議員
 


テニー博士の家族

表彰式には、テニー夫妻の友人であるクレイ&ドロシー・パーキンス夫妻、元捕虜ジョン・ミムズ氏夫妻、バターン・コレヒドール防衛米兵の会歴史協会会長ジャン・トンプソン教授も出席しました。
 


11/23/13

教育プロジェクト紹介

エドワード・ジャックファート氏が、「ブルック郡公立図書館の教育プロジェクト」(米ウエスト・ヴァージニア州 ウェルズバーグ市)を紹介し、支援を呼びかけました。  教育プロジェクト をご覧下さい。


 


10/26/13

日本POW友好プログラム

4人の元捕虜と3人の捕虜未亡人が家族と一緒に、4回日本POW友好プログラムに参加しました。 写真報告をご覧下さい。
 


 


10/11/13

2013年度日本POW友好プログラム

日本政府は、第4回日本POW友好プログラムとして、4人の元米兵捕虜と3人の捕虜未亡人を家族と共に、10月13日から8日間日本に招聘します。参加者は以下の通り。
 

Phillip W. Coon (94), 米陸軍31歩兵連隊
純粋のマスコギクリーク族インディアン。1942年4月9日のバターン陥落の後に捕虜となり、「バターン死の行進」を歩かされた。1945年1月
に日本に移送され、小坂捕虜収容所に収容される。銅山での労働に従事させられた。

Robert  B. Heer (91), 陸軍航空隊
1942年5月10日、ミンダナオ島で捕虜となる。台湾で複数の捕虜収容所に二年近く収容された後、日本に移送される。北海道の捕虜収容所に送られ、炭鉱で強制労働に就かされた。赤平収容所で開放された。

Erwin R. Johnson (91), 陸軍航空隊
1942年4月9日のバターン陥落の後に捕虜となり、「バターン死の行進」を歩かされた。1942年10月、満州の奉天に送られる。その地で終戦まで強制労働に就かされ、1945年8月17日、ソ連軍により解放された。

Marvin A. Roslansky (90), 米海兵隊
1941年12月9日、グアム島が日本軍に陥落した後、捕虜となる。その後、四国の善通寺捕虜収容所に移送された。1945年に解放されるまで、その地で3年10ヶ月にわたり荷役作業などの強制労働に就かされた。


Lora Cummins
, 米陸軍航空隊 Ferron E. Cummins 未亡人
夫は、1942年4月9日、バターン陥落の後に捕虜となり、「バターン死の行進」を歩かされた。1944年の9月に日本に移送され、四国の向島捕虜収容所に収容された。解放まで、荷役作業などの強制労働に就かされた。

Marjean McGrew, 米陸軍 Alfred McGrew の未亡人
夫は、1942年5月6日
、コレヒドール島が陥落した後に捕虜となる。1944年8月に日本に移送され、数箇所の捕虜収容所で荷役労働に就かされた日清製粉収容所では捕虜仲間のために食事を作る。諏訪収容所で解放された。


Ester Jennings
, 米陸軍所属Clinton Jennings の未亡人
夫は、1942年5月6日、コレヒドール島が陥落した後に捕虜となる。1944年8月に日本に移送された。福岡桂川捕虜収容所、後に福岡宮田収容所で解放まで炭鉱での労働に就かされた。

 


10/4/13

ケネディ大使、オバマ大統領広島訪問、捕虜問題

上記に関してエイブラハム・クーパー師の意見記事が、10月3日付けの毎日新聞に掲載されました。

「記憶の中に未来の救いがある」というユダヤの格言を信じる私は、ケネディ氏が父親の太平洋戦争従軍と彼女自身の広島訪問に触れたことに、感動した。二国間の辛い過去の遺産を、両国の友情を深めるために受け継ごうとする姿勢は、私たちに希望を与え、それを見習うよう励す。

オバマ大統領の訪問は、敵国から長年の同盟国となった両国が、相互信頼と真実に基づく未来への一章を開く特別な機会を提供するだろう。私は、ケネディ大使がオバマ大統領の被爆地訪問に向けてよい準備ができるよう、幸運を祈る。日米の若い世代が真珠湾から長崎までの道をよりよく理解するためのその努力を、彼女の父親は誇りに思うだろうし、彼の太平洋戦争従軍兵仲間は感謝するだろう。

記事の全文

クーパー師は、ロサンゼルスに本部を置くユダヤ系人権擁護団体 「サイモン・ウィーゼンタール・センター」の副所長です。


9/20/13

全米捕虜・行方不明兵を思う日

「バターン・コレヒドール防衛兵の会(ADBC)」の全米会長を二度務めたエドワード・ジャックファート氏は、ウエスト・ヴァージニア州公共ラジオで放送された「エディ・ジャックファート捕虜体験と捕虜博物館について語る」と言う番組で、捕虜体験の思い出とその教訓について語りました。


番組は、このサイトから聴くことができます。

ジャックファート氏は2002年、日本軍捕虜米兵の歴史に関して彼が長年収集した資料などのコレクションを、故郷の町ウエスト・ヴァージニア州ウェルスバーグの図書館に寄付しました。その後他の多くの捕虜からの寄付品がぞくぞく届き、数万点もの品々、書類、写真、オーラルヒストリーなどを保有するようになった「バターン・コレヒドール防衛兵の会」博物館は、日本軍捕虜に関するリサーチの中心となりました。

ジャックファート氏は、捕虜の苦難の体験から人々が何かを学んで欲しい、と語っています。

戦争は死と破壊以外の何物でもないことを、見て下さい。若者に教えましょう。あなた方が戦争を避けるために努力をしなければ、これがあなた方が遭遇することなのです。学校や大学や地域の集りで、語り合っていきましょう。戦争は何も解決しないことを。紛争解決のためには、何か別の方法が必要なのです。
 

                 
Edward Jackfert addressing on POW/MIA Day.   Scott Adams (Iraq veteran), Francis Dennison, Charlotte Lohr, Jane Kraina (ADBC Museum Coordinator), Mary Kay Wallace (Brooke County Public Library Director), George Wallace (editor of the Brooke Review), Edward  and his wife Henrietta

ADBC博物館に関する詳細はフェースブックから
 


8/21/13

捕虜ドキュメンタリー上映会

ジャン・トンプソンさん製作の「Never the Same」が 8月15日、ロサンゼルスの「寛容の博物館」で上映されました。

300人近くが、旧日本軍の捕虜となった米兵の体験を綴るこのパワフルな映画を鑑賞しました。プロデユーサーのジャン・トンプソンさんと10人の元捕虜(写真前列)が観客を迎え、ナレーションを担当した女優のロレッタ・スィットさんと捕虜の日記や手紙を朗読した何人かの俳優(写真後列)も顔を見せました。

「寛容の博物館」を運営するサイモン・ウィーゼンタール・センター副所長のエブラハム・クーパー師がジャンさんを観客に紹介し、ロレッタさんがマイク・ホンダ下院議員から届いた祝福のメッセージを読みました。
 

 
                                            
Chris Franciosa                              Don Murray                              Mike Farrell
       Ed       Lester         Don           Harry       Lorreta         Bill            Jan              Bill        Houston      Harold          Jim        Friese,  Tenney,    Versaw,      Corre,       Swit,       Eldridge,   Thompson,  Sanchez,  Turner,   Bergbower,    Collier
  
(Not included in the picture was former POW Warren Jorgenson.)
 

上映会の後で、参加した俳優マイク・ファレル氏が書いたエッセイはこちら

このドキュメンタリーに関する詳細は Never The Same .
 


8/5/13

原爆投下に関する記事 

当ウエブサイト設立者・代表徳留絹枝の記事「原爆の歴史と教訓:日米の真の対話を求めて」が、月刊『潮』9月号に掲載されました。

英語訳はこちら


捕虜追悼礼拝

8月3日、第二次大戦中に日本で亡くなった捕虜を追悼する礼拝が、横浜の英連邦戦死者墓地で行なわれました。この墓地には、1,700人あまりの英連邦国捕虜が埋葬されています。墓地内の追悼ホールの壁には、地獄船で門司に到着した後亡くなった48人のアメリカ人捕虜の名前も刻まれています。


日本人有志が連合国捕虜の歴史の伝承に取り組んでいます。
 


7/20/13

旧日本軍捕虜米兵の体験を綴るドキュメンタリー

エミー賞を3度受賞したプロデユサー、ジャン・トンプソンさん製作の「Never the Same」が 8月15日、ロサンゼルスのサイモン・ウィーゼンタールセンター「寛容の博物館」で上映されます。 

詳細はウィーゼンタールセンターのウエブサイトをご覧下さい。

ジャンさんは、
American Defenders of Bataan and Corregidor Memorial Society の会長で、父親の故 ロバート・トンプソン氏は日本軍の捕虜でした。
 


6/17/13

元捕虜の表彰と彼のひ孫の日本人との対話

6月15日、ニューオーリンズにある国立第二次世界大戦博物館は、「バターン死の行進」と日本での強制労働からの生還者 レスター・テニー博士に、Silver Service Medallion を授与しました。彼らは、元日本軍捕虜の会「バターン・コレヒドール防衛兵の会」最後の会長であったテニー博士を、以下のように称えました。

国立第二次世界大戦博物館は、第二次大戦中にこの国のために無私無欲で戦った者たちの価値感と精神を体現するレスター・テニー博士に、Silver Service Medallionを授与します。彼は、勇気と犠牲そして行動力と寛大さによって、人々を元気付けてきました。彼の努力によって、元捕虜米兵のための日本訪問プログラムが始まり、日本政府からの謝罪が得られました。
 

      
博物館理事長 Richard Adkerson氏 と館長Gordon Mueller博士  そしてべティ夫人と


一方、テニー博士の15歳のひ孫
パーカー・リーヴァィ君は、最近家族と一緒に日本を訪問した折、元シベリア抑留者と国会議員の集いに参加しました。話題が捕虜問題に及んだ時、パーカー君は日本語で短いスピーチをしました。
 

    
元シベリア抑留者でテニー博士の友人 池田幸一氏(二人の友情についてはこちら) と
パーカー君が自分で書いた日本語のスピーチ原稿
 

「捕虜:日米の対話」東京代表でテニー博士のよき友人である伊吹由歌子さんが、パーカー君のこの会への出席をアレンジしました。

パーカー君のオリジナル日本語スピーチと英語訳
 


6/6/13

中国瀋陽に連合軍捕虜歴史博物館がオープン

旧日本軍奉天捕虜収容所の跡地が、歴史博物館として最近一般に公開されました。

中国政府は約8千万円をかけて収容所の原型を修復し、歴史博物館と極寒やマラリア・赤痢などで死んだ200人余りの捕虜の名前を刻んだ慰霊壁を建設しました。

連合軍捕虜歴史博物館オープンのニュース と Youtube video

奉天捕虜収容所」もお読み下さい。
 


5/20/13

英国捕虜の息子、父親の足跡を辿る

テリー・スマイス氏が、父親エドウィン・スマイス氏が収容された美祢市を訪問した感想を綴りました。 「戦争に引き裂かれ、友情で結ばれる」をご覧下さい。
 

          
 


5/16/13

向島収容所メモリアル
 

向島捕虜収容所で亡くなった捕虜を追悼するメモリアルが、有志により建設されました。

詳細は、小林晧志 氏のエッセイ
我々は何故向島にメモリアルプレートを設置したのか

 68年目の星条旗」
 をご覧下さい。

 


5/13/13

レスター・テニー博士の意見記事

5月13日 Japan Times はレスター・テニー博士が書いた意見記事「Shift the focus, Mr. Prime Minister」を掲載しました。

首相、理解のためのこの機会を逃さないで下さい。
謝罪は“侵略”の定義などよりずっと重要なことです。

意見記事の日本語訳

 

ザンペリーニ氏訪問

「捕虜:日米の対話」設立者・代表の徳留絹枝は、ベストセラー「Unbroken」でその体験が紹介されたルイ・ザンペリーニ氏を自宅に訪ねました。

ザンペリーニ氏は、戦後日本を訪問し多くの大学生に語りかけた思い出を語りました。

 


4/25/13

新駐米大使との面談

4月23日、米元日本軍捕虜で作る「バターン・コレヒドール防衛兵の会」最後の会長だったレスター・テニー博士は、ダレル・アイサ下院議員の事務所で、佐々江賢一郎駐米大使と面談しました。会見は、テニー博士の長年の友人で捕虜問題支援者のクレイ・パーキンス氏によってアレンジされました。テニー博士とパーキンス氏は、アイサ議員の選挙区であるカリフォルニア州第49区(サンディエゴ北部)に居住しています。

テニー博士は、佐々江大使に日本招待プログラムの継続を要請し、アイサ議員は捕虜問題への強力な支援を表明しました。

 
アイサ議員   佐々江大使   テニー博士  パーキンス氏
 


4/9/13

CNNテレビが「バターン死の行進」生還者レスター・テニー博士を紹介
 

     

死ぬるは易く生きるは難いをご覧下さい。
 


3/26/13

元捕虜と日本の子供たちとの交流

2012年度「日本POW友好プログラム」で来日したダグラス・ノーザム氏は、その後も大阪市立高見小学校の子供たちと交流を続けています。先ごろノーザム夫妻は、夫妻の娘さんが推薦した絵本(右写真)を高見小学校の生徒に贈りました。

以下は、植上校長からの返事です。

ノーザムご夫妻へ

絵本をいただき、有難うございました。
子どもたちに読み聞かせましたところ、たいへん喜んでいます。
こどもたちも「アメリカから来たおじいちゃん」をよく覚えています。
お話し下さった「平和の大切さ」を、子どもたちはこれからも大事に
していってくれることと信じています。

本当に素敵な思い出をありがとうございました。
大阪市立高見小学校 校長 植上則

 

   
     高見小学校の子供たちと元捕虜の交流会 (2012年10月18日)

ノーザム氏の日本訪問についての感想もお読みください。
 


2/21/13

米連邦議会調査局の報告書が捕虜問題に言及

米連邦議会調査局が最近発表した報告書 「日米関係:米議会にとっての案件」に、捕虜問題が含まれました。報告は以下のように書いています。

第112会期連邦議会には、日本政府の謝罪と訪問プログラム設立に感謝する3つの決議案、S.Res. 333, H.Res. 324, and H.Res. 333 が提出された。 これらの決議案は同時に、このプログラムの継続や拡大そして第二次大戦に関する教育など、日本がさらなる努力をすることを要請した。それらはまた、日本企業に、彼らの会社や彼らの前身の会社が戦時中、賃金を払わず或いは微々たる賃金で働かせた捕虜労働に関して謝罪するよう、要請した。

捕虜問題に関する箇所の全文はこちら  
 


2/19/13

次世代から国務省への手紙

ADBCメモリアルソサエティ(旧次世代の会)の会長ジョーゼフ・ヴァーター氏は、日本政府の捕虜招聘プログラムへの支援を要請する手紙を、国務省に送りました。彼は以下のように書きました。

元日本軍捕虜とその家族・次世代を代表して、ADBC Memorial Society は、来週アメリカを訪問する日本の安倍晋三首相に、日本政府による米元捕虜日本訪問プログラムの継続・拡大を奨励してくださるよう、お願い致します。

手紙の全文はこちら
 


2/12/13
 

オバマ大統領の広島・長崎訪問と捕虜の歴史伝承

2月12日付けの毎日新聞に、この問題に関するの意見記事が掲載されました。

オバマ大統領を被爆地へ    
 


1/21/13

 「バターン死の行進」否定記事への反論
 

日米関係と北東アジア問題を研究するワシントンの非営利団体 Asia Policy Point が運営するウエブサイト American POWs of Japan に、Denier of the Bataan Death March という報告が掲載されました。

報告には、日本の人気雑誌 『正論』に掲載された記事の英訳と、そこに書かれたバターン戦に関する記述の訂正が含まれています。

訂正は、元米空軍主席歴史官で、太平洋戦争を専門とする軍事歴史家のスタンレー・ファーク博士の協力を得て作成されました。彼は権威ある著書「Bataan: The March of Death」の作者です。

バターン戦に関する包括的な歴史は United States Army in World War II: The War in the Pacific, The Fall of the Philippines," で読むことができます。作者のルイス・モートン氏は、
ファーク博士のこの大作への貢献に謝辞を述べています。

父親が三菱尾去沢銅山で強制労働に就かされたジェームス・ネルソン氏のエッセイ「バターン死の行進 -その原因の再考」も、お読みください。

米公共テレビPBS2007年に放映した「The War」のバターン死の行進の映像はこちら


 



12/12/12 

ロバート・エアハート氏の漫画

伊吹由歌子さんが、エアハート氏が捕虜時代に描いた漫画を紹介しました。

エアハート漫画でご覧下さい。
 


11/18/12 

故ロジャー・マンセル氏の著書

長い間、捕虜の歴史を調査していた故ロジャー・マンセル氏の遺作で、 リンダ・ゲッツ・ホームズさんが編集した Captured: The Forgotten Men of Guam  Naval Institute Press から出版されました。

詳細はCaptured でご覧下さい。

 


11/1/12 

第3回日本POW友好プログラム

7人の米元捕虜とその家族は日本滞在中、多くの場所を訪ね、多くの日本人と交流しました。
 

また、訪問先各地の新聞で取り上げられました。

写真リポートを掲載しました。


 


2012年度 日本POW友好プログラム

日本政府は、第3日本POW友好プログラムとして、7人の米元捕虜とその家族を9日間の日本旅行に招聘します。以下の参加者が1013日に日本に到着します。
 

ダグラス・ノーザム (93) 米海軍、揚子江パトロール船オアフ号に勤務コレヒドール島で捕虜となった。 1942年11月、日本の梅田捕虜収容所に送られ、大阪周辺の貨物集積所で荷役労働に就かされた。1945年3月、敦賀捕虜収容所に移送され、そこで解放された。
 

ランダル S.エドワーズ (95) 米海軍、カノーパス号に勤務
コレヒドール島で捕虜となった。1942年10月中国の奉天(現在の瀋陽)に送られた。満州工作機械で、研磨機や旋盤機など何種類もの機会を使う労働に就かされた。
 

デビッド G.ファーカー Jr. (90) 米陸軍航空隊、第6爆撃隊
1945年5月23日、搭乗していたB-29が東京上空で撃墜されて捕われた。憲兵隊に連行され、取調べを受けた。終戦後に大森捕虜収容所に移送され、そこで解放された。
 

ジョン L・ミムズ (90) 米陸軍、第31歩兵部隊
バターン半島陥落後に捕虜となり、「バターン死の行進」 を歩いた。 1944年9月、日本に送られ、山口県大嶺町の捕虜収容所に収容され、炭鉱で労働に就かされた。
 
 

ジョン・リール (90) 米陸軍、航空隊
バターン半島陥落後に捕虜となり、「バターン死の行進」 を歩いた。 1943年9月、日本に移送された。新潟の捕虜収容所で、貨物船から石炭などを荷卸する労働に就かされた。
 

ジョージ R.サマーズ (90) 米海兵隊、グアム
1941年12月10日、グアムで捕虜となった。1942年1月、日本に送られ、善通寺・多奈川・梅田捕虜収容所で、防波堤建設や荷卸などの労働に就かされた。最後は富山県伏木の収容所で解放された。
 

ロバート W.エアハート (89) 米海兵隊、第四海兵隊第三大隊
コレヒドール島で捕虜となった。1943年に大阪の捕虜収容所に移送され、桜島造船所で強制労働に就かされた。1945年5月この収容所が爆撃を受けた後、明延捕虜収容所に送られた。

 

元捕虜訪日プログラムに関する ホンダ議員の演説

マイク・ホンダ米下院議員は、2012年9月21日の「捕虜・行方不明兵を覚える日」に、日本政府による元捕虜招聘プログラムに関して演説しました。 

演説の全文と来日元捕虜の詳細な経歴は米議会議事録で読めます。

以下はスピーチのハイライトです。

日本政府は2010年、日本に招待した最初の捕虜一行に、彼らが蒙った被害と苦しみに対し正式な謝罪をしました。

日本政府によるこの歴史的な謝罪と日本招聘プログラムへの支援は、私たちと日本との関係を向上させ、さらに重要なことには、元捕虜たちにポジティブな影響を及ぼしました。

このように認めて貰えるまで、アメリカの元捕虜が一生懸命に働きかけたことを私は知っています。歴史的で有意義な謝罪をした日本政府の勇気を、私は高く評価します。諦めることなく正義を追求し続けた元捕虜に感謝し、それを支援した米国務省を称えます。

ただこの意義深い贖罪の行為に未だに欠けていることは、戦時生産を維持するために捕虜を奴隷労働者として酷使した多くの日本企業からの謝罪です。今こそ、これらの企業が沈黙を破り、彼らの政府の成功例に倣って謝罪をし、末永い記憶と和解のためのプログラムを支援すべき時です。

今回の元捕虜の旅が、アメリカ合衆国とその重要な同盟国である日本の間の、歴史的な平和と友好に貢献することを信じます。

 


10/7/12 

最後の(米海兵隊) 中国軍楽隊

米海兵隊の公式ブログ MarinesBlog は、ドナルド・ヴァーソー氏の体験談を掲載しました。

ドンは、戦前上海に駐留していた第四海兵隊軍楽隊の一員でした。中国にいた米海兵隊は、日本軍による真珠湾・フィリピン攻撃のわずか数日前に、上海からフィリピンに移動しました。ドンは1942年5月、コレヒドール島で捕虜となり、その後日本に送られて福岡の二瀬炭鉱で強制労働に就かされました。

The Last China Band: Musicians. Riflemen. Prisoners でご覧下さい。
 


9/25/12

捕虜の娘のエッセイ

リンダ・マクダビットさんのエッセイ「感動の旅:大嶺町捕虜収容所跡地の訪問」を掲載しました。 彼女は、父親が日本で収容された捕虜収容所跡地を訪れた感想を綴っています。

リンダ・マクダビットさんエッセイ
 


9/15/12

ダグラス・ノーザム氏の捕虜体験

米海軍所属で日本軍の捕虜になったノーザム氏の "My Experiences as a Japanese Prisoner of War during World War II From May 7, 1942 until September 17, 1945” から、抜粋を掲載しました。

ノーザム氏の捕虜体験
 


8/13/12

第二次大戦捕虜のためのメモリアル

白石 “Seina”昌子さんは、生まれ故郷で現在も居住する門司の港に、捕虜のためのメモリアルを建設するプロジェクトを、スタートしました。詳細は、彼女のウエブサイト  We Remember You でご下さい。

白石さんは  私の生まれ育った街を通り過ぎていった彼らの歴史や命を覚えておきたい…” と言っています。
 

白石さんはその他に、アメリカ全土100箇所の老人ホームを訪ね、第二次大戦を生きたアメリカの人々のために歌う計画も立てています。そのために彼女が製作したCDのダイジェストは          Thanks for the Memory で聴くことができます。
 


8/5/12

ローラ・ヒレンブランド著 Unbroken」 に関する記事
 

月刊 『潮』 9月号に、徳留絹枝の記事「米国人捕虜の物語が日本に問いかけるもの」が掲載されました。

英語訳はUshio article on Unbrokenで読めます。
 


6/3/12

70周年記念フィリピン・ツアー

伊吹由歌子さんと前川志津さんは、バターン死の行進70周年を記念するフィリピン・ツアーに参加しました。

二人の報告はこちらから

 


5/17/12

フィリピン防衛戦70周年
 



フィリピン防衛戦、バターン死の行進、コレヒドール島陥落から
70周年を記念して42425日、ワシントンで記念行事が開かれました。

 写真レポートはこちら

 


4/17/12

捕虜の娘 大嶺捕虜収容所(広島第六分所)を訪問

414日、リンダ・マクダヴィットさんは、山口県美祢市大嶺町捕虜収容所の跡地を訪れました。第二次大戦中、父親のジェローム・マクダヴィット大尉がいた収容所です。徳留絹枝と伊吹由歌子がリンダさんに同行しました。

およそ300人のアメリカ人捕虜がここに収容され、近くの炭鉱で強制労働に従事しまた。                                                                                                                                     
                                                                            炭鉱の入口に立つリンダさん

波左間正己(はざま せいき)住職の先導のもとに建立された捕虜記念碑のことを知って以来ずっと、リンダさんは波左間師に会いたいと願ってきました。

  リンダさんと波左間師

詳細は大嶺町訪問をクリックしてください。


毎日新聞に掲載された記事はこちら

第2次大戦当時その炭鉱を所有していた宇部興産も、丁重に心こめてリンダさんを迎えてくれました。


4/12/12

バターン死の行進」生還者にとっての未解決案件

レスター・テニー博士は、4月24・25日に 「バターン・コレヒドール陥落70周年行事」に参加するためワシントンに集結する元日本軍捕虜米兵の代表です。彼は、「バターン死の行進」70周年が彼にとってどんな意味をもっているのかを論ずる意見記事を発表しました。

...私たち生還者は名誉を取り戻したい。それを叶える一つの方法は、第二次大戦中私たちに強制労働を課した企業から謝罪を受けることである。

意見記事の全文はSan Diego Union Tribune
 


4/9/12

アントニオ・タグバ将軍

アントニオ・タグバ退役米陸軍少将が  「バターン・コレヒドール70周年記念」行事の賛同者になりました。

タグバ将軍の父親は、フィリピン・スカウトの第45歩兵連隊の兵士で [バターン死の行進] を歩きました。

タグバ将軍は、イラクのアブグレイブ刑務所における虐待事件に関する米陸軍の内部報告を作成したことで最も知られています。(詳細はニューヨーカー誌に掲載されたThe General’s Report”をご覧下さい。)
 

ローラ・ヒレンブランドさん

日本軍捕虜になったオリンピック選手ルイ・ザンペリーニの体験を綴ったベストセラー「アンブロークン」の著者
ローラ・ヒレンブランド さんからも、支援の言葉をもらいました。
 

詳細は以下のサイトでご覧下さい

   フェイスブック Commemorating Bataan and Corregidor
    「バターン・コレヒドール70周年記念」行事
 


4/4/12

70周年記念日

フィリピン防衛戦・バターン死の行進、コレヒドール陥落から70周年を 記憶する幾つかの行事が424日・25日に、ワシントンで計画されています。

 詳しくは70周年記念をご覧下さい。
 


3/25/12

ロバート ・ヒーア氏の捕虜体験記を掲載しました。

彼が家族に宛てて書いたメッセージは、ラジオ東京(NHK)が放送したプロパガンダ番組で放送されました

家族へのメッセージをご覧下さい。
 


2/28/12

「捕虜次世代の会」会長・副会長のワシントン訪問

2月9日と10日、「捕虜次世代の会」会長のジョーゼフ・ヴァーター氏と副会長のキャロライン・バークハートさんは、ワシントンを訪問しました。

二人は、幾つかの全米退役軍人組織の代表、上下両院議員の多数のスタッフ、そして国務省担当者と会見しました。話し合われたトピックは、次世代の会の使命や日本政府により実施されている招聘プログラムの成功などについてでした。彼らはさらに、招聘プログラムが継続され拡大されることの重要さについても話し合いました。

ヴァーター氏の父親ジョー・ヴァーター氏はコレヒドール島で捕虜となり、1942年に満州奉天の捕虜収容所に送られ、そこで開放されました。彼は1953年から55年まで、全米バターン・コレヒドール防衛兵の会(ADBC)の会長を務め、その後2007年まで50年以上に渡って、会報誌「Quan」の編集を続けました。

バークハートさんの父親トーマス F.バークハート中尉はバターンで捕虜となり、1942年に日本に送られました。多奈川・善通寺・六呂師の捕虜収容所に収容されました。

「捕虜次世代の会」のウエブサイト
 


1/26/12

第二次大戦時捕虜強制労働の企業責任に関する意見記事

徳留絹枝の「歴史と向き合う勇気を」が、1月26日付け朝日新聞に掲載されました。

記事と英語訳はこちらから
 


1/18/12

過去の音楽.明日への友情

白石昌子(セイナ)さんは10代の頃、第二次大戦時にアメリカで流行った歌に魅せられました。戦争のために愛する人と別れる悲しさや幸せな再会を願う歌は、彼女の心を強く揺さぶりました。

1989年、彼女はニューヨークに渡り、そこで歌手になりました。そしてレオナルド・ガスキンやボブ・クランショーといった伝説的なミュージシャンと親しくなります。
                               
                     

しかし、歌手として生きていくことは簡単ではなく、10年後に彼女は日本に帰国する決心をしました。そして歌手としてのキャリアを諦める前に、第二次大戦時の歌を自分で歌ったCDを製作し、アメリカ国内3,500の老人ホームに寄付しました。(詳細はこちら

そのCDを聞いた一人が、元捕虜そして海兵隊のミュージシャンだったドン・ヴァーソー氏でした。(彼の捕虜体験 ドンは、自分達世代のために歌ってくれて有難う、とお礼を書きました。昌子さんは、そのメッセージを読んで本当に嬉しかったそうです。1999年のことでした。

それから時は流れて2011年のことです。

インターネットを検索していた昌子さんは、ドンが前年、日本政府の捕虜招待プログラムで来日していたことを知りました。その後ドンと連絡も途絶えていた昌子さんは、当ウエブサイト 「捕虜:日米の対話」に連絡をとり、12年ぶりにドンと交信できたのです。
 

アメリカの第二次大戦世代のために歌っていた頃の思い出が、洪水のように昌子さんに蘇りました。そして、自分がどれほど彼らのためにまた歌いたがっているかに、気がついたのです。昌子さんは、もうすぐ新しいCDを発表します。その売り上げで、アメリカ 国内100の老人ホームを訪問して歌えることを願っています。

ドンは既にCDの予約注文を済ませ、彼女のプロジェクトが成功することを祈っています。昌子さんは、ドンに初めて会えるかもしれません。
 

*昌子さんの1999年のC 新しいCD のダイジェスト。(予約はこちら

昌子さんは2月5日、北九州市でコンサートを開きます。詳細はこちら