「バターン死の行進」 追悼マラソン

アラン・オーヴァマイア

私は57歳で、フィリピン戦線の生還者の長男です。私の父ビル・オーヴァマイアは降伏が1ヶ月ずれたため、幸運にもバターン死の行進を歩かずにすみましたが、それでも日本の捕虜収容所で3年半を過ごしました。

私は生粋の競争者です。毎週、走り、自転車をこぎ、泳いでいます。私は過去28年間、種々の競技に参加してきました。毎日運動をすることは、私の生活にとって重要な部分を占めているのです。この4年間は、3月に開催される「バターン死の行進」追悼マラソンに向けてのトレーニングで、新年をスタートしてきました。    
                                 
バターン死の行進」追悼マラソン:元捕虜の父と(2005)

「死の行進」追悼マラソンは、ニューメキシコ州ホワイトサンズのミサイル発射場本部基地に駐屯する部隊が開催する、42キロマラソンです。1989年、ニューメキシコ州立大学の陸軍予備役将校訓練隊が、バターンで戦った者たちを称えるため、このイベントを始めました。1992年には、ホワイトサンズミサイル発射場とニューメキシコ州国家警備隊が、主催者に加わりました。2003年は、部隊がイラクに派遣されたため、中止になりました。約100人で始まったマラソンですが、今や世界中から4千人が参加する大きな イベントとなりました。ほとんどは軍関係者ですが、一般市民も数多く参加しています。多くの者が、私がそうであるように、バターンで戦い日本軍の捕虜となった家族を称えるたえめに、参加します。私は、両親と一緒に2001年のイベントを初めて見学に行った後、自分も参加する決心をしました。

コースは起伏のある42キロで、楽ではありません。それは小高い砂漠を超え、小さな山を廻りこみ、砂地と湿地を通って駐屯地に帰って来るコースです。海抜は1200メートルから1600メートル近くにもなります。参加者は通常5人のメンバーから成る兵士のチームで、全員が一緒にゴールインしなければなりません。ほとんどの参加者は、軍服を着用し、16キロのリュックサックを背負います。リュックサックなしで、ランニング用の服だけという軽装で参加することもできます。

つらいコースですが、美しいオーガンの山並みや、バターンで戦った者たちに敬意を表すために世界中から集まった献身的な参加者ゆえに、私はこのイベントを楽しんでいます。退役軍人たちを称える若い男女や子供達に、私は本当に励まされます。

コースの沿道で私たち参加者の世話をしてくれる何百人ものボランティアにも、感謝しています。3千人から4千人もの参加者を世話してくれるのですから。表彰式で、偉い人々が老人たちに敬礼し敬愛を示すのを見ると、涙が出ます。表彰式に出る生還者は、数人だけです。彼らは全員80代で、スピーチをしたりは しないのですが、遠い昔に耐えた苦労を認めてもらることに感謝していることは、はっきりと分かります。彼らに手を差し伸べる誰とでも惜しみなく握手し、誰かが彼らの奉仕と犠牲に感謝すると、謙虚に頷くのです。

私はアメリカ人として、自分達の歴史を学ぶ必要があると信じますし、国に奉仕した人々、特に捕虜収容所での体験を持つ人々に、感謝しなければならないと思います。捕虜になるということは、究極の犠牲なのです。

私は、この究極の犠牲を払った人々のために、その一人は私の父親ですが、小さくても辛いやり方で自分を犠牲にします。自分なりの、体を動かすやり方で、彼らの奉仕に対して感謝の気持ちを伝えるのです。自分ができる限り、それを続けていくつもりです。

父は次のように書いています。

「昨年のバターン死の行進追悼マラソンに出席した17人の生還者(元捕虜)の一人として、私はそれが強烈な感動と誇りに包まれたイベントであったと、断言することができる。このようなイベントへの準備のために、私の息子が毎日トレーニングに励み努力していることは、実に感慨深い。しかし、表彰式に出て、多くの人々から栄誉と尊敬を受ける経験は、圧倒されるほど感動的なものだ。その日私は、千人を超える人々と握手をしたに違いない。一人の元捕虜などは、13キロ近く歩いたほどだ。本当に素晴らしいイベントだった。」

参加者と握手するビル・オーヴァマイア氏とバターン生還者


「バターン死の行進」追悼マラソン
詳細: 
http://www.bataanmarch.com/