米国議会に提出された捕虜補償法案:日本にとっての意味

徳留絹枝

第二次大戦中に日本帝国政府あるいは日本企業に奴隷労働を強要された米国の軍人と民間人雇用者、あるいは生存する配偶者に2万ドルの補償を支払うことを求めた法案が米国上院(S. 3107) 同内容の法案が下院に提出された。(H.R.6497) (法案の日本語訳)  

この金銭的な補償が、 捕虜たちの英雄的貢献を遅まきながら認める象徴的行為でしかないことは、言うまでもない。捕われの身であった期間の彼らの死亡率は、 彼らの置かれた境遇が言語を絶するほど残酷であったことを、物語っている。約二万七千人の米捕虜のうち40%にあたる1万1千人が死亡しているのだ。

しかしこの法案が成立すれば、強力なメッセージを日本に送ることになるだろう。「米政府と米国市民は、これらの英雄のことを忘れていない、そして彼らの問題に取り組む用意がある」というメッセージだ。

残念なことに、近年米政府が日本に送ってきたメッセージは、そのようなものではなかった。元捕虜が第二次大戦中に彼らに奴隷労働を課した三井・三菱・新日本製鐵などの日本企業を相手取って訴訟を起こした時、米政府は被告企業の側についた。米議会が、元捕虜を支援する法案を通そうとした時、米国人ロビーストは日本政府に進んで雇われ、何億円もの報酬を受け取り、元捕虜の正義への戦いを支援しようとする議会のあらゆる努力を妨害した。
(例えば2003年前半のロビー会社2社への支払い明細 を参照。これらの会社が行ったロビー活動の全容は司法省のウエブサイト 
"FARA semi-annual reports to Congress"で見ることができる。)

日米両国が調印した平和条約で捕虜の請求権が放棄されたが故に(捕虜個人の権利は条約で放棄されない、と主張する法学者もいるが)、米政府が日本企業の側に立たざるを得なかったことは理解できる。しかし、訴訟が却下された後、米捕虜の悲劇の歴史に名誉あるそして双方が受け入れられる終止符を打つために、元捕虜が日本政府・経済界と対話を持とうとした際、米政府が全く支援しなかったことは理解し難い。

「日本が捕虜問題の解決に取り組んで欲しい」という米政府からの要請が一切無い状態で、日本側も行動を起こす必要性を感じることはなかった。日本政府はこれまで、友好と和解を促進するため、英国・オランダ・オーストラリア・ニュージーランドなどの元捕虜とその家族を、日本に招待してきた。日本政府はこの10年で、捕虜招待プログラムと他の歴史教育プロジェクトに何十億円もの予算をつぎ込んできた。何百人もの元捕虜とその家族がこのプログラムで日本に招待されたが、米国の元捕虜とその家族は全く除外されてきている。(詳細は「平和友好交流計画~10年間の活動報告」を参照)

筆者が、アメリカ人が除外されている理由を外務省に問い合わせたところ、「捕虜を取り巻く状況は各国で異なる」という返答があった。元日本軍捕虜団体の会長であるレスター・テニー博士も、先ごろ訪日した際に同様の質問をしたが、アメリカの捕虜を取り巻く異なる状況に関して、納得のいく返答は得られなかった。

日本政府が言うところの違いが、米政府が旧連合国の中で自国の元日本軍捕虜に補償していない唯一の国であるという事実を指すのかは、想像の域を出ない。米議会の上院と下院に現在提出されている法案の確認事項にもあるとおり、英国・オランダ・オーストラリア・ニュージーランド・カナダ・ノルウエー・そしてマン島は、生存する自国の元日本軍捕虜に補償を支払っているのだ。

米政府が彼らに感謝と尊敬の態度を表そうとしないことが、日本政府も彼らのことは気にかけなくてよい、というメッセージになってきたのだろうか。

それが除外の理由かどうかはわからないが、自らの政府の支援を得られないことは、米国の元捕虜とその家族が過去の傷を癒す助けにならなかった。

ある娘の日本旅行

メアリアン・スティクニーは最近、福岡捕虜収容所第一分所の跡地を初めて訪れた。彼女の父親のピーター・ハンセン氏(彼の捕虜体験)は、1941年12月にウエーク島で日本軍に捕われた米国民間人労働者だった。日本に連行され、佐世保でダム建設の強制労働に就かされた。彼は終戦の年まで何とか生き延びていたが、1945年3月21日に死亡した。彼に死をもたらした日本兵は、衰弱した捕虜に医療を施さず殴打したり他の凶悪な行為を働いたことで、戦後戦犯として裁かれ有罪となった。

メアリアンが、父親が死んだ福岡の捕虜収容所跡地を訪ねたとき、そこにかつて捕虜収容所があったこと、そこで147人の捕虜が死んだことを、人々に知らせるものは何も無かった。それは林の中の小さな空き地にすぎなかった。

メアリアンは小枝を拾って十字架を作り、持参した小さな花をその前に供えた。追悼碑も追悼の標識もない 彼女自身が作った小さな小枝の十字架だけ。それが彼女が父親の63年目の命日におこなった供養だった。

父親が死んだ捕虜収容所跡地でのメアリアン・スティクニー
(メアリアンの九州旅行を案内したウエス・インヤード氏撮影)

彼女は、何万人もの捕虜が地獄船で輸送された後に到着した門司の港を見下ろす丘にも、登った。捕虜が耐えた悲惨な輸送船の歴史を伝えるものは、やはり何も無かった。
 



奴隷労働者となる何万人もの捕虜が到着した門司港
ウエス・インヤード氏撮影) 

メアリアンは、父親が捕虜として生き、そして死んだ地を訪れた感想を、次のように筆者に語った。

行って本当によかったと思います。悲しいだけの旅ではありませんでした。父がいた日本に自分がいるということに、彼が歩いた同じ地を歩くことに、恐ろしいほど感激しました。静かに空気を吸い込み、彼の存在を、そして生還した人々はいったいどうしてそれができたのだろうという驚きの思いを、味わいました。
 

確かにダムでは、ろくな服も着ないで凍るような風の中で働かされたであろうことや、空腹で殴られながらの 厳しい重労働のことを思って、涙がこぼれました。そんな日を来る日も来る日も、彼らはどうやって耐えることができたのでしょう。そしてもちろん、63年前のその日に父がそこで死んだことに思いを馳せた、あの松の木の下。彼は最後まで生きようと、がんばったのです。

でも私たちは、父が今は天国でイエスと共に歩み、天使と一緒に賛美の歌を歌っていることを、喜ぶことができます。それこそ真の勝利、大勝利です。

その他に私の旅で印象に残ったのは、日本の人々と過ごしたことです。私は人間に悪意を持つということは、これまで決してありませんでした。(但し、日本政府と日本軍となると話は別ですが) 私は、私たちの文化の間に、違いよりも類似点をより多く見ました。とても洞察に富んだ教訓でした。
 

      父親や他の捕虜の奴隷労働で造られた相当ダムに触るメアリアン(ウエス・インヤード氏撮影)


メアリアンの日本訪問は、日米が共有する歴史の中で悲劇に巻き込まれたこれらの捕虜を記憶し敬意を表する共同作業を、両国が一日も早く開始しなければならないと、痛感させる。アメリカ人捕虜の歴史が日本で全く知られていないなどということは、二国間の親しい関係にふさわしくない。そのような状態を米国が放置しておくなどということは、二国間の友好関係にふさわしくない。

テニー博士は、名誉ある解決法を既に提案している― それは日本政府と捕虜に奴隷労働を課した企業が共同で基金を設立することだ。そのような基金で、日本政府が他の旧連合国の元捕虜や家族を日本に招待してきたように、米国の元捕虜とその家族を日本に招くことができる。さらには、日本の人々が、戦時中の国内に130箇所もあった捕虜収容所で何が起こったのかを学べるような、共同研究を支援することもできる。両国の人々がいつの日か、門司の丘に追悼碑を建てる日がくるかもしれない。

そのような努力は、過去の傷を癒し、日米の人々がより親しくなることに役立つはずだ。

でもそれが起こるためには、米政府と米国民が元捕虜への支援を示さなければならない。 S. 3107 とH.R. 6497 成立が、最初の一歩となり得る。米国は日本に向け、米国民が、日本から甚大な不正義を受けた第二次大戦の兵士たちを忘れておらず、その不正義を正すため米国民にできることは引き受ける用意がある、という正しいメッセージを発しなければならない。そしてその後は、日本が正しい行動を取る番だ。

                                                                            (2008年8月15日掲載)


追記

捕虜補償法案、上院を通過せず

捕虜補償法案(S.3107)の共同提出者ジェフ・ビンガマン上院議員とオーリン・ハッチ上院議員は、彼らの法案を、上院防衛予算法案の修正条項として加えようとしました。9月17日、党派間でぶつかり合いがあった後、100あまりの修正条項が入ったパッケージを上院は認めませんでした。捕虜補償修正条項は、その中の一つでした。

票決の前の週、元日本軍捕虜の会(ADBC)の会長レスター・テニー氏と財務のエドワード・ジャックファート氏は、法案への支援を訴えるためワシントンを訪れました。今回は手続き上の困難があり法案は通りませんでしたが、有力議員が支持を表明しました。彼らのある者は、次の会期でこの問題に取り組む用意があると発言しました。
 

ボブ・フィルナー下院退役軍人委員会委員長と

捕虜補償法案について説明するジェフ・ビンガマン上院議員
photo by Olive Rosen 
OLIVE ROSEN

ワシントン・ポストに掲載されたテニー氏に関する記事
 Washington Post article on Dr Tenney