ハロルド・プール

1918年ユタ州ウッドクロス生まれ

米陸軍航空隊

バターン死の行進、
オドネル収容所、カバナツアン収容所
名古屋捕虜収容所#7 富山収容所

 


ハロルド・プール氏は、Soldier Slaves (奴隷にされた兵士達)』  詳細)の中で、「バターン死の行進」の思い出を以下のように語っている。 

ある者は、立っていられなくて倒れました。その位弱っていたのです。私から1.5 メートルも離れていなかったと思います。顔を地面に向けて倒れていました。監視兵が突っつきましたが、敏速に動けませんでした。それで監視兵は銃剣で彼の背中を突き刺したのです。

私は自分が見たことが信じられませんでした。

私は、監視兵に飛びかかって彼のライフルを奪いそれで彼の首を押さえ込みたいと思いました。その頃私はまだ体力も残っていて、日本兵は私たちよりずっと小さかったですから、そうすることはできたのです。彼に飛びかかって、その銃で彼を羽交い絞めにしたら、彼は何が起こったのか分からなかったはずです。でも、彼の後ろにはもう一人の監視兵が立っていました。彼は即座に私を撃ったでしょうから、私もそれでお終いになるところだったのです。わかりますか。

Soldier Slaves』の著者であり対日本企業捕虜強制労働訴訟で元捕虜の代理人だったジェームズ・パーキンソン弁護士は、ハロルド・プール氏に関するあるエピソードについて書いている。

ある日の午後遅く、ハロルドの義理の息子で僕の親友のワーナーから、電話がかかってきた。彼はいつものように単刀直入に切り出した。「ハロルドが、訴訟をやめると言っている。ヒンクリー司教の本を読んで電話してきて、訴訟をやめると言うんだよ。パーキー、彼と話してみてくれ。」

私はハロルドに電話した。彼は、本当にモルモン教司教 ゴードン・B. ヒンクリーの『Standing for Something 』を読んだところだった。その本でヒンクリーは、赦すことについて書き、全ての悪を戦いや訴訟で正そうとすべきでないと、書いていた。救いは外部からではなく内面からもたらされるものであると教会の指導者は助言していた。キリストの教えは、もう一方の頬も差し出し、汝を悪意で扱った者を愛しなさい、というものなのだ。

人一倍敬虔なモルモン教徒であるハロルドは、その助言を深く心に受け入れたのだ。彼は、遠い昔に既に日本人を赦していた。さらに訴訟を起こしてその問題を突き詰める必要はないと、彼は決心したのだった。

結局は、「訴訟は正義を勝ち取るためである」というパーキンソン氏の説得が功を奏して、プール氏は訴訟を続けることになるのだが、「生きて帰れなかった仲間のためだよ。」 と付け加えている。

このエピソードを読んで以来私は、プール氏に会って彼がどんな人物なのかもっと知ってみたいと、考えていた。最近やっとそれが実現し、ソルトレーク・シティでプール氏に会うことができた。以下は、私たちの対話である。
 

訴訟をやめようとなさった時、何を考えていらしたのですか。

私たちの教会の指導者が書いた記事を読んだのですが、彼は、「赦す」ということは、そこでちょっと赦しあそこでちょっと赦す、といったものではなく、全てを赦すことなのだと、書いていました。どんなことが過去に起こったにしろ、人生を前向きに生きるために、そして自分が達成したいと思うことを達成するために、全てを赦さなけれならない、というのです。

 

私はこれを読んで強烈な衝撃を受けました。もちろん私は、遠い昔に日本人のことは赦していましたので、訴訟に加わったとき、この問題と取り組まなければなりませんでした。

私に限って言えば、「赦し」は既に自分の中に訪れているのです。私は日本人に対して何の悪感情も持っていません。誰かに対して恨みを抱けば、傷つくのは自分だということを、私は知っています。ですから、一番よいのは完全に赦すことだと、気付いたのです。赦し、新しい人生に踏み出し、よい人生を送り、仕返ししようなどとは考えないことです。

それではなぜ考え直して、既に日本を赦されているのに、訴訟を続けたいと思われたのですか。

正義のためです。それが主な理由でした。そのために、今でも努力しています。赦すことはできますが、それでも正義はなされなければなりません。そのためには、訴訟に協力していくことが必要に見えたのです。

あなたは、遠い昔に日本人を赦したと仰いましたが、それでも、日本からの謝罪を受けることには、大きな意味があるのではありませんか。

そうですね。私にとっても私の仲間にとっても。でも私は、「おい、俺は完璧な人間だぞ」とは言えません。私にだって落ち度はあります。自分の人生の中で、自分の行為に責任をとらなければならない時がくることも、承知しています。赦すことは、自分のためにも一番よいことなのです。そしてそれは継続して行われることです。たった一度だけのことではないのです。私は、「赦す」ことのできる人間は幸福で、よりよい人生を送ることができると信じています。

日本の謝罪についてお伺いしても、ご自分の赦しにお話が戻ってしまいますね

私は、「赦すこと」は名誉ある特権だと考えています。神が与えて下さった特権なのです。

私は恥ずかしがり屋の子供でした。姉妹が5人もいて男の子は私ひとりだったのです。それが今では、400人から500人の学生を前にして捕虜体験を語るのを楽しんでいるんです。この数年は、私の人生のハイライトでした。私の人生には悪いことも起こりました。妻を2度亡くしました。最初の妻とは30年間、2番目の妻とは11年間結婚していました。それでも、私は自分の人生は本当に恵まれていたと、感じています。だって今でもこうして生きているんですから。

私は人を助けるのが好きなんです。それが私の性格なんですね。とても器用で、ハンディマンとでも呼んでくれていいですよ。いろんなことをして、近所の人々を助けるのが好きです。

ですから、私の人生の前半は少し悪かったけど、今はとても幸福です。聖書は、終結は始まりよりよい、と言っています。私は、自分の人生の終わりが始まりよりよくて、とても幸福だと思っています。

貴方に起こったこと―「バターン死の行進」、マラリアで瀕死の状態になったこと、地獄船で日本に送られたこと、そして日本での2年間の奴隷労働―を、「少し悪かった」と表現なさるなんて、驚きです。貴方は、ご自分の体験が綴られた 『 Soldier Slaves 』 を誇りに思っていらっしゃいますか。

その本については、大変誇りに思っています。自分の体験を本に書いてもらえる機会に恵まれる人なんて、それほど多くありません。著者のジェームズ・パーキンソン氏とリー・ベンソン氏には、大変感謝しています。

悲しい物語ですよね。特に終わりが。でも読後感の悪い本ではありません。貴方の人間性を通して、それでも人類愛への希望が持てます。体験を共有して下さり、有難うございました。                                          
                                                               
(インタビュー:徳留絹枝)

 

* プール氏は2010年3月8日に亡くなりました。