盗まれた武勇:暴かれた偽者バターン死の行進生還者の嘘

徳留絹枝

ロバート・ブラウン退役空軍最上級曹長の自宅を訪ねた時、彼が最初に見せてくれたのは、日本軍の捕虜として死んだ第34追撃隊所属の戦友のリストでした。 リストは、238人からなる隊の143人が、バターン死の行進、オドネル捕虜収容所、カバナツアン捕虜収容所、「しんよう丸」や「阿里山丸」などの地獄船、そして日本の収容所で死んだことを示していました。

ブラウン最上級曹長は、彼らの思い出と名誉をとても大切にしていました。それを汚そうとする者を断じて許せなかったのです。

ブラウン最上級曹長は、バターン死の行進生還者のふりをしていた人物の正体を暴いたことがあります。

それは1996年春、ブラウン最上級曹長が、『Air Force Sergeants 』という雑誌に掲載されたスペンサー・B.デユークス最上級曹長についての記事を読んだことが、発端でした。”尊敬すべき英雄”と題されたその記事は、デユークス最上級曹長がバターン死の行進の生還者で、戦時中は各地の捕虜収容所に収容された、と書いていました。

アメリカ国内のあちこちの空軍基地で自分の捕虜体験を”感動深く”語る人物がいることを、ブラウン 最上級曹長は、5年近く聞いていました。しかし彼は、この人物と元捕虜の会で一度も会ったことがなく、元捕虜の会であるAmerican Defenders of Bataan and Corregidor」 「American Ex-Prisoners of War」の名簿にその名前を見つけることもできなかったのです。それでもプライバシー法があるため、彼はデユークス最上級曹長の軍歴について調べることはできませんでした。

しかしその記事を読んだブラウン最上級曹長は、この人物は嘘をついていると確信したのです。記事には、デユークス最上級曹長が1941年12月8日の日本軍によるフィリピン攻撃の後、最低クラスの曹長から最上級曹長に抜擢され、フィリピン・スカウトの中隊の曹長に任命されたと、書かれていました。さらに、彼がバターン死の行進に生き残り、モンゴル・ロシア国境沿いの捕虜収容所に送られ、最後は1944年2月に広島から23キロほど離れた収容所にいた、というのです。彼は、原爆投下を目撃したと宣言し、「爆風で舞い上がった木片や人間の体の一部までが、我々を直撃した」と証言していました。

ブラウン最上級曹長は、アメリカ人の下士官がフィリピン・スカウトを指揮することは決してなかったことを知っており、また彼自身がいたモンゴル・ロシア国境沿いの連合軍捕虜収容所の名簿に、デユークスの名前を見つけることはできませんでした。

その記事で、デユークス最上級曹長の名前が間もなく、空軍の「今年の曹長賞」に使われることを知り、ブラウン最上級曹長は、行動を起す決心をします。

以下は、ブラウン最上級曹長と、米空軍でこの問題を担当したキャンパネル最上級曹長との間で取り交わされた手紙の抜粋です。


ブラウン最上級曹長からの手紙

デユークス最上級曹長は明らかに、話題になるのに都合のよい多くの場所にちょうど居合わせたようです。同僚の上級曹長の信憑性について尋ねるのは大変悲しいことですが、私がなぜそうしなければならないか、ご理解くださるようお願いします。貴下がデユークス最上級曹長に授けようとしている賞は、大変な名誉です。もしデユークス最上級曹長の話に何か矛盾があるとすれば、それを究明するのは今しかありません。

デユークス最上級曹長の軍歴を最初から最後まで調べ、私の不安を取り除いて下さいませんか。もし私がこのような依頼をしたことが間違いであったなら、デユークス最上級曹長には個人的に謝罪する所存です。

お返事をお待ちします。
 

キャンパネル最上級曹長からの返事

この問題の担当は私なので、返事しなければならないと思います。私はデユークス最上級曹長をもう何年も知っていますが、一度たりとも、彼が語る軍歴に関して、正式に証明するよう尋ねる必要を感じたことはありません。またこれから尋ねるつもりもありません。貴下はデユークス最上級曹長の言葉と彼の名前が「今年の曹長賞」に用いられることに疑問を呈した訳ですが、ご勝手にどうぞと、申し上げます。私はそのようなことはしませんし、この賞とデユークス最上級曹長が体現する全てのことを支持しています。

私の見解では、貴下は事実認識と判断において過ちを犯しており、デユークス最上級曹長に謝罪すべきだと思います。
 

ブラウン最上級曹長から

退役最上級曹長の私は、貴下と、最上級曹長どうしとして話し合うために選ばれたのです。その目的は、もしデユークス最上級曹長が我々(バターン死の行進生還者)の仲間でなかった場合、名誉ある貴下の部署が赤恥をかかなくてすむようにです。最上級曹長、私たちはデユークス最上級曹長が、「今年の曹長賞」に値するかどうかを問題にしているのではありません。彼は、立派な曹長に違いないでしょう。しかし、その名誉を得るためにバターンを利用することは、私たちと私たちが耐え抜いた犠牲が許さないのです。

貴下は、彼の軍歴を調査して欲しいという私の依頼を拒否した訳ですが、ご勝手にどうぞと、申し上げます。私たちは、真実を突き止める努力を続けますし、もし私たちの疑惑が現実になった場合、あらゆるメディアを通してデユークス最上級曹長の正体を暴くつもりです。それを報道してくれるディアはいくらでもありますから。

この時点でデユークス最上級曹長に謝罪…とんでもありません!事実認識と判断において過ち…それは今にわかるでしょう。

キャンパネル最上級曹長から

もう一度言いますが、私は「今年の曹長賞」を、デユークス最上級曹長の名前そして軍への貢献と立派な軍歴に因んで授与する、という決定を支持します。確かに、歴史と果敢なグループの名誉を守りたいという貴下の気持ちは理解しますが、私が見るところ、貴下は既に彼を偽者と決め付けており、そうではないという証拠をいくら提出しても、貴下の気持ちを変えることはできないようです。

今後どのような行動を取るにしろ、それは貴下の権利ですし、貴下が私に応答する機会をくれたことは確かです。そのご親切に感謝しますが、デユークス最上級曹長は本物です。もし貴下の疑いが間違っていたことが分かった時は、あらゆるメディアを通して、貴下の間違いを認め彼に謝罪することを、心から願うものであります。

ブラウン最上級曹長から

(彼は、“American ex-Prisoners of War”の代表が、デユークス最上級曹長の名前が自分達の組織の名簿にも、“American Defenders of Bataan and Corregidor”の名簿にも見つからないと書いてきた手紙を同封)

最上級曹長、私自身の信頼性を疑ってかかるよりも、デユークス最上級曹長の軍歴を調べて欲しいという私の当初の依頼を、もう一度検討した方がよろしいかと思います。同封したのは、当局に提出するために現在集められている書類の一部で、貴下も読まれておいた方がよいでしょう。

以前にも申し上げたとおり、貴下の栄えある部署そして米空軍が赤恥をかくことを、私は望まないのです。この男は、バターン死の行進の生還者でも第二次大戦の捕虜でもありません。今こそ私たちの軍の法組織がしかるべき行動を取り、デユークス最上級曹長の見え透いた芝居をやめさせる時です。

速やかな返答をお待ちします。

キャンパネル最上級曹長から

”当局に提出するために現在集められている書類の一部”として貴下が提示した手紙は、私が見るところ、何も証明していません。それは単に、デユークス最上級曹長が AXPOW の会員でもADBCの会員でもないということを、暗に示しているにすぎません。最上級曹長、この手紙が他の多くの証拠の一部だなどと言う代わりに、貴下の言い分を証明する書類を提示してくれませんか。私に、デユークス最上級曹長に証拠を出すように頼んで欲しいと言う代わりに、貴下が尋ねてみたらどうですか。

貴下は、私の友人そして最上級曹長仲間に、嘘つきではない証拠を出すよう頼むことを、求めました。私はそんなことはしません。貴下がしたかったら、それはご自由です。軍の法組織、検察不服申し立て組織、そしてあらゆる組織が、同じように言うでしょう。
 

そうこうするうち、マーチ空軍基地の検察部が、ブラウン最上級曹長がデユークス最上級曹長の軍歴に疑問を提示していることを耳にした。彼らは調査を始め、デユークス最上級曹長が第二次大戦中バターンには居なかったこと、それどころかアジア戦線にさえ参戦していなかったことをつきとめた。さらには、デユークス最上級曹長が貰ったと証言していたSilver Stars, Legion of Merit, Airman’s Medal, Bronze Star, and Purple Heart などの勲章も、全て嘘であることが判明した。彼はそれらの何一つ授与されていなかったのだ。

ブラウン最上級曹長は、キャンパネル最上級曹長の後任として着任したエリック・ベンケン空軍最上級曹長(ブラウン最上級曹長はデユークス事件がその人事の原因と確信している)から以下の手紙を受け取った。


ベンケン最上級曹長から

私どもは、デユークス最上級曹長の戦闘歴の記録に不正確な記述があったことを発見し、彼が捕虜ではなく、またバターン死の行進に参加したこともないことを、確認しました。

私どもは、デユークス最上級曹長を空軍の公式スポークスマンとして、兵士や他のグループの教育に使うことは、今後一切ありません。「今年の曹長賞」から彼の名前を取り除く手続きをしています。

この件で、貴下や貴下のお仲間にご迷惑をかけたことを申し訳なく思います。そしてこの問題に私どもの注意を喚起して下さったことに感謝します。

 

空軍関係者が読む新聞 『Air Force Times に、このエピソードの顛末が”チーフゲート”というタイトルで掲載されると、多くの読者から、キャンパネル最上級曹長はブラウン最上級曹長に謝るべきだという手紙が届いたそうです。しかしキャンパネル最上級曹長は謝りませんでした。

ブラウン最上級曹長は、「日本軍の捕虜として死んでいった彼らこそは、日本の勝利を大幅に遅らせることになった4ヶ月間の輝かしいフィリピン防衛を戦った将兵でした。もし明日、バターン死の行進生還者の偽者を見つけたら、僕はまた同じことをしますよ。」と言っています。
 

                     
 

 まもなくバターン死の行進者となる17歳のブラウン氏   最近のブラウン最上級曹長


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* ロバート・ブラウン氏は、2008年10月15日に逝去しました。