日本の皆さんへのメッセージ

以下は、2011年3月11日に発生した東日本大震災後、寄せられたメッセージです。


新しいメッセージを随時、このページの最後に追加しています。

「POW友好プログラム」参加者からのお見舞いの手紙

========

日本の友人の皆さんへ

私は帝国陸軍の兵隊を相手に戦いましたが、今は、かつての敵になんらの憎しみも抱いていません。しかし、テレビの画面に映る、あなた方の国を襲った恐るべき災難の光景を見る私の、深い悲しみを知って下さい。とてつもないこの出来事に、信じがたいほどの勇気をもって立ち向かうあなた方への思いを。

偉大な日本は、相互依存の国際世界で私達のもっとも信頼できる同盟国で、その国の人々が地震と津波に襲われた様子を見ることは、友人が計り知れない不安に苛まれているのに、そばに行って助けてやることもできずに見ているような思いです。

友だちよ、あなた方の勇気を称えながらも、私はあなた方の払う犠牲に嘆き悲しみます。私が唯一確信を持って言えることは、「国として一致協力し、あなた方は再び立ち上がり、さらに強くさらに豊かな、そして国際社会の指導的一員としてさらに重要な国となる」ということです。

あなた方の友人 JD Merritt  捕虜番号462  (仙台捕虜収容所6B)

========

日本に住むひとたち、そして日本の仙台と本州東北地方にいる友人たちのことが大変気がかりです。テレビ報道を見ているとこの地域が地震と津波でもっともひどい被害を受けたようです。ここは1944年から45年、私が日本帝国陸軍捕虜として過ごした地域なのです。皆さ んのこうむられた被害、また今後の困難な努力を想うとき、こころから同情にたえません。瓦礫を片付け、破壊されたこの地域を再建するのに必要な希望、力が皆さ んに与えられますよう私たちは祈ります。

皆さんおひとりひとりのうえに、私たちの同情と祈りを送ります。

James Murphy 退役米空軍大尉、第2次大戦中、3年半、フィリピンから仙台第6収容所へ送られ花輪(現鹿角)の三菱銅山で強制労働に従事
Nancy Murphy

========

年老いた私の今の気持ちを表すのは、とても困難です。仙台と他の本州北部の海岸沿いの被害者の様子を見て、胸がいっぱいになります。人々を襲った悲劇と突然失われた命と破壊された家屋に、私は打ちひしがれる思いです。

美しい日本が深く傷ついたことは確かです。世界の多くの国々からその品位を称えられた日本国民は、素晴らしいです。過去には醜い時代もありましたが、私は彼らの善良さ、親切さ、魅力を知っています。

日本と日本の人々に限りない同情を覚えます。国も人々もどちらも生き延び、復興し、耐え抜くよう願い、きっとそうなると感じています。

Don Versaw  (福岡捕虜収容所7B)

私たちが連日見ている画像とビデオのイメージは、大変悲しくまた同時に感動的です。私がこの災害について抱く思いは、9・11とケネディ大統領暗殺の時に感じたのと同じ思いです。私たちがどのように支援できるのか、どうぞ知らせて下さい。今のところ、夫と私はアメリカ赤十字に寄付したいと思っています。

Judith Chorley  (Don Versaw の娘)

========

お友達の皆さん

皆さんのことを想い、祈っています。
皆さんとお友だちやご家族のために、何かできることがあれば、どうか知らせてください。

愛をこめて

Oscar Leonard (川崎捕虜収容所)
Mary Leonard,   

Sarah Leonard,  

========

日本の皆さんのひとり、ひとりへ

妻のフランと私は、地震、津波そして核原発問題がおよぼしている恐るべき災害をニュースで見ながら、みなさんのこと、ひとりずつのことを、考えています。みなさん、そしてご家族すべての安全を神に祈ります。日本の他のひとたち、できるだけ多くがこの地震がもたらす事後災害を逃れることができますよう願います。最善を望みつつ、これからも事態の推移を見守ります。

神の祝福を祈ります。

John B. Lewis
(1945125日、日本捕虜輸送船ブラジル丸船上で死んだ John L. Lewis 佐の息子)

========

妻と私が日本で起きている恐ろしい自然災害を見たとき、たちまち私の心はみなさんの美しい国を最近訪ねたときに戻っていました。そこで私は父が捕虜として囚われ銅鉱の粉じんで盲目になった花輪へ巡礼の気持ちで旅をしたのです。数人の日本人の友と周遊したのですが、その一人は捕虜を殺した戦争犯罪で処刑された日本兵の息子さんでした。私たち二人は、自分の父の身におきた恐ろしいことを忘れたことはありませんでしたが、現在の、また自分たちの将来にその過去を介入させることは、私たちにはできませんでした。

次にジーンと私は津波と地震により命を奪われ、あるいは傷つき、なくしたすべての人のために祈りました。人間を超えた存在を私たちは異なる仕方で表現しますが、この災害により影響をこうむった方々に慈悲を示し、平安を与えてくださるように私たちは祈りました。このような災害時には精神も肉体もともに支えが必要です。だから私たちはこの地震で犠牲となった方々に援助をする特別のウェブサイトを見つけ寄付を送りました。

幸いにも個人的な日本の友人たちはみな大丈夫で、そのことに感謝します。素早い復興と豊かな未来への私たちのこころからの願いをどうぞお受けください。

Jim Nelson  (仙台捕虜収容所6Bに収容されたJohn Nelson の息子
Jean Nelson

========

親愛なる日本のみなさま

皆さんの美しい国がこの1週間こうむっている恐るべき損傷をみて、重いこころでいます。日本はきっと、この損害のなかから立ち上がり本来の偉大な国になられることを、私は知っています。闘いのなかにいるみなさま、米国の市民たちはともに働き、また家庭を開いて、日本の皆さまの再建への厳しい努力に援助と慰めをとどける用意があります。

神の御祝福を祈ります。

Joseph Ward Jr.  (バターンの元捕虜JosephAWard Sr.の息子)

========

私たちの思いと祈りは、この大変な状況にある貴方と共にあります。

日本の状況は、原発事故のためにどんどん深刻になっているようです。この恐ろしい状況と日本全体を鎮圧しようと努力している人々には、同情を禁じえません。

最善を祈ります。

Walter Huss  (1944年12月満州奉天上空で撃墜され捕虜となったB-29搭乗員)

========
 

夥しい数の日本の人々に降りかかった災難がどんなものであったのかを推測することは、本当に困難です。国として国民として、私たちは自分達にできるあらゆる支援を惜しみません。日本は私たちの友人であり同盟国で、一人ひとりのアメリカ人としても合衆国政府としても、支援のためにどんなことでもするべきだと思います

私たちの思いと祈りを、日本の人々全てに送ります。悲しいですが、未来に希望を持って、私たちがあなた方を思っていることを忘れないで下さい。

John Alexander Patterson  元州上院議員
Philippine Scouts Heritage Society の代表
1942年1月12日バターンで戦死、「名誉の勲章」を授かった
Alexander R. Nininger の甥

======== 


朝起きて、日本で起きた恐ろしい地震とその後の津波のニュースを聞きました。私は、この悲劇の影響を受ける全ての人々に、すぐ思いを馳せました。私の母は、1923年の関東大震災の時に、横浜にいたのです。幸運にも、彼女は地震が起こった時は、港に停泊していた船に戻っていました。でも母は、上陸している間に素晴らしい旅行をしてお土産も買っていたのです。彼女は日本のものに魅惑されていました。私達の家族は今でもそのときの宝物と小物を保管しています。

関東大地震の時と違って、今私たちは、瞬時にして起こったことの詳細まで知ることができます。日本の人々は困難から立ち直れる民族ですが、それでも甚大な被害を受けた人々、特に命を失った人々のことを思うと、胸が痛みます。

日本が一日も早く復興して平穏な暮らしに戻れるよう、多くの人々が祈りと支援の手を差し伸べていることを知って、心が慰められますように。

Cecily Mattocks Marshall (元民間人抑留者)

======== 

日本の皆さんへ

私には多くの素晴らしい日本人の友人がいます。皆さんの国の東北地方で起こっている恐怖の様子を見て胸が張り裂けそうです。テレビの画面で繰り広げられる悲劇を見て感じる私と妻の苦しみは、現地の人々が感じているそれと比べれば、無きに等しいものです。

あなた方がこの恐るべき事態を乗り越えられるよう、私たちが心から願っていることを、信じて下さい。私の祖母もそれを願っていると確信します。

Peter and Tea Parsons
フィリピン、バギオ
[Blanche Jurika の孫]

======== 

日本の皆さま

皆さまのことを想っています。父は第2次大戦の日本軍捕虜でした。当時の日本政府は別として、日本の人たちには父は憎しみを持っていませんでした。彼はよく仙台第6B収容所のひとりの看守のことを話しました。彼は父と仲間の捕虜たちに親切でした。お名前は山之内ショウシチさんだったと思います。彼は通訳で英語の先生でした。

このような大きな危機を日本の人々が耐え忍ばなければならないことを、心からお気の毒に思います。

愛をこめて送ります。

Jane Hoekstra (仙台捕虜収容所6Bに収容されたEmerson J. Milliken の娘)

========

(Louis Sachwald) が死んで数週間しか経っておらず、私はまだ、心の中の空しい気持ちに適応しようと努力しているところです。生還した捕虜として、父は前向きに生きること、家族と友人を思いやること、そして困っている人々を助けることの大切さを、教えてくれました。ですから今回、日本を救援するために赤十字に寄付することは、私にとって容易な決断でした。私の家族にも友人にも、そうするよう勧めたいと思います。日本の方々を想い、祈っています。

Judith Sachwald (仙台捕虜収容所6Bに収容された Louis Sachwald の娘)

========

日本の犠牲者の皆さま

理由もなしに我が国の元捕虜を「生存者」と呼ぶわけではありません。彼らはみな、憎しみをこころに宿し続ければそれは人間の魂を滅ぼす行為だとすでに学んでいます。何度となく、日本人に対しては何の敵意もない、彼らを危めた(ほとんどがすでに亡い)人たちだけだと彼らが言うのを聞いています。ヴァージニア州ノーフォークから、またカリフォルニア州ロサンゼルスから、救援活動の専門家たちがすでに現地にいることを嬉しく思います。残骸のなかから何等かの奇跡を引き起こしてくれることを望みましょう。

皆様のことを絶えず思っています。昨日、私の行く教会では日本人犠牲者とご家族に特別の祈りを捧げました。

Linda Goetz Holmes日本軍捕虜歴史家

========

日本市民の皆さんへ

この十年間のあいだ、「バターンとコレヒドール防衛米兵の会」の活動にかかわる中で、何人かの日本人と知り合うという特別の折を得てきました。このひとたちのもつ人格、文化、親切さを私は愛し、尊敬するようになりました。

いま重いこころで皆さんの国と人々の荒廃の報道を見ており、皆さんのことを考え祈っていることを知っていただきたいと願います。

わが国、わが軍のできる限り、いかなる援助であれ心から応援しています。私個人として何かできることがあればと願いますが、皆さんはこの試練に耐え、より偉大になられることを心に信じています。神様が恵みの手を皆さんすべてに与えてくださいますように。

George Wallace, 捕虜機関誌 『Quan』 編集長
Mary Kay Wallace, ADBC 捕虜歴史博物館

========

日本の皆さんへ

ご家族を亡くされた方々に深い同情を覚え、まだご家族の安否が分からない方々の幸運を祈らずにはおれません。そして皆さんが、この苦難を乗り越えられますよう、お祈りしています。

皆さんが決してひとりではないことを忘れないで下さい。世界が全力で手を差し伸べようとしています。

Yang Jing

奉天捕虜収容所研究
瀋陽大学

========

日本の全ての人々を想い、皆さん一人一人の安全を祈っています。
 
Dorothy Perkins
カリフォルニア州ランチョ・サンタフェ在住

========

日本の皆さんへ

私の家族全員から、津波に見舞われて厳しい状況に置かれている日本の皆さんに、深い悲しみの思いをお伝えします。辛い時を過ごされている全ての皆さんのために、私たちは祈っています。

Sascha Jansen
第二次大戦時フィリピンのサント・トマス収容所で捕虜

========

日本の為に祈っています。肉体的・物質的に必要な物資を得られるだけでなく、精神的困窮が癒されることがより大事であると皆さまが気付きますように。

Wes Injerd
Center for Research, Allied POWS Under the Japanese

========

私たちが皆さんのことを思っていることを知って下さい。そして何より、あなたの国がいかにこの状況と取り組んでいるかに、本当に感動しています。あなたの国の文化と人々が持つ数多くのよい面を表していると思います。

Linda McDavitt 広島捕虜収容所6Bに収容されたJerome (Jerry) McDavitt  大尉の娘)

========

日本のみなさん、

この恐るべき悲劇に直接見舞われた方々すべてのことを思って祈ります。日本人の弾力ある回復力、第2次大戦後に私たち両国の間に培われたユニークで堅いパートナーシップは、日本が再建と復興を成し遂げる力となるでしょう。

 John D. Lukacs  (捕虜歴史家)

========

日本の皆さんへ

数ヶ月前に日本を訪問したばかりの私たちは、地震のことを知り直ちに、そこに住む友人や私たちが出会った親切で優しい人々のことを心配しました。日本に滞在中私は、人々が溌剌として働き者であることに、大変印象付けられました。私は、危機にある日本を助けるアメリカのどんな援助も支持します。私の祖父は、日本で捕虜だった時、地震と津波で負傷したのですが、今テレビで画像を見ていて、彼がそれらの出来事がいかに破壊的であったかを語っていたのを、思い出しました。

私の家族から、皆さんへの支援・思い・祈りをお送りします。

Tim Ruse (バターン死の行進の後、名古屋捕虜収容所 5B に収容されたCarl Ruseの孫)

========

日本の皆さまへ

皆さまの国を襲ったこの悲劇の中にいる方々のことを、思っています。私と日本との関わりは、第二次大戦中に父が日本軍に捕われ、収容され、そして死んだことから始まりました。それは最終的に、私が昨年の第一回「日米友好プログラム」に参加することに結びつきました。私は、第二次大戦時に起こった出来事の事実を認め、私たち全員を教育するために、両国で為されている多くの方々の努力に感謝しています。この旅行は、歴史的一里塚であり、日本の多くの方々との間に暖かく生産的関係を発展させる結果となりました。皆さまが苦難の中におられる今、友人として、亡くなられた方々へのお悔やみに始まり、この最悪の自然災害からの復興支援まで、皆さまと皆さまの国にあらゆる支援をすることが、私たちの義務だと思っています。

Nancy Kragh 
(1945年1月11日、台湾高尾湾に停泊中の「江之浦丸」で死んだClarence White 少佐の娘)

======== 

あなたの国のために私たちは皆祈り、支援に貢献する方法を見つけようとしています。もし私たちが同じような自然災害に襲われたなら、日本は真っ先に支援を表明してくれる国の一つであろうと、信じて疑いません。アメリカの戦艦が再び日本沿岸に赴いたこと、でも今回は支援と慰めをもたらすためであることに、深い感慨を覚えずにはいられません。日本人は強く勤勉な人々で、きっと再建するでしょう。皆さんの家族と日本の全てに祝福がありますように

Lorna Nielsen Murrayパラワン虐殺の生還者 Eugene Nielsen の娘)

=========

日本の市民の皆さま

ニューヨークの息子を訪ねていて帰ってきたばかりです。そこで、地震と津波のおそるべき画像を見ました。この自然大破壊で被災された全ての方々に、心からのお見舞いを申し上げます。

Roderick Hall  (父はサント・トーマス収容所。 戦争中と解放時マニラに居住)

========

関係者のみなさん

自己紹介をさせてください。僕はカイル・ナッピ、20歳のオハイオ州立大学2年で、長年戦史研究に打ち込んでいる者です。

幸せなことに僕は、第2次大戦太平洋戦線の退役軍人の方々と数多く、手紙やメールでの交流をしてくることができました。そのなかには捕虜も日本兵もいます。できるだけ多くの元兵士たちと連絡をとり、戦時中の体験を学び、将来の世代に伝えることが僕のやるべきこと、と考えています。これらの退役軍人と交流できたのは名誉なことであり、彼らの体験を伺えたのは僕に与えられた特典だったと考えています。

それに日本には、連絡をとりあう人たちがかなり居り、定期的な交流をしています。日本の退役軍人の方々はとても友好的で愛想がよく、僕の問いに見事に答えてくださいます。 

いまここ米合衆国から、日本のすべてのみなさんに最善を願って書いています。日本の東北.関東地方の受けた破壊を聞き、みなさんに危害の及ばないよう祈りをこめて書きたいと思いました。 

地震と津波による、さらに現在原発事故によって引き起こされた破壊から、みなさんが早く回復されるよう僕たちは皆祈っています。このような出来事に大変心配し、日本のみなさんを助けたいと願って僕たちの支えと応援を続けます。

日本に及んだ破壊の映像をみながら、国を覆っているであろう恐怖を考えると僕のこころも嘆きでいっぱいになります。でもこの危機にさいして互いに助け合おうと責任を引き受けている多くの個人がいることを僕は知っています。日本中の混乱にもかかわらず、復興作業を助け援助の仕事に専心している人々がいらっしゃるのです。家庭は壊れても、皆さんの精神を破壊することはできません。このように申し上げ、たとえ何百万ではなくても、何千もの決意ある有能な頭脳によって損害からの再建をもう僕は予見することができます。

僕のこころに日本のみなさんのこといつも想って、最善を願っています。この大惨事の影響が広がる中、みなさんとみなさんの国のことを、お祈りしています。

米合衆国から最善を願いつつ
苦難の先に明かりがあります。

Kyle Nappi
オハイオ州立大学2年生

========

どうぞ全ての日本の方に、私の心からの同情をお伝え下さい。私は日本人の特質をよく知っていますから、あなた方がこの災難を乗り越えられることを知っています。私たちは全て、あなた方の悲しみと共にあります。

Arthur Lane
英国人日本軍捕虜
National Ex Services Association 設立者

========

日本の皆さまへ

今回日本を襲った悲劇に心からのお見舞いを申し上げます。家族や友人を失うことは、何人にとってもつらいことです。

日本の皆さまのことを想い、祈っています。私は、日本を支援している団体に寄付をしました。私からのお悔やみと皆さまの安全を願う思いを、お受け取り下さい。

Pat Wadley
歴史家・捕虜研究

========

今回の自然災害で被災された日本の皆さまに、深い悲しみの想いをお伝えします。

亡くなられた方々のご冥福と甚大な被害に遭われた全ての生還者のために、私は祈っています。立ち直るために、品位を保ちつつ効率的に苦難と取り組まれる気高い皆さんの能力に、私は偉大な信頼を寄せています。過去の他の苦難-特に第二次大戦と原爆投下-から立ち直ったように、皆さんが再び立ち上がることを私は知っています。

Edward Malikowski
広島捕虜収容所4に収容されたFrancis W. Malikowski

========

日本のみなさんへ

大変な災害のつづくこのとき、みなさんのことを想っています。‐-日本にとってこれ(大災害)は果てしもないように見えます。いつか、すぐに、このひどい大災害が終わることをただ祈るばかりです。日本と日本の人々のことを考え、非常に悲しい気持ちです。私たちが皆さんのことを想っており、まもなく状況が好転するよう祈っていることをせめてお伝えしたいと願います。

思いやりこめて、

ノーマ&ジョセフ・アレグザンダー
米陸軍航空隊、第440爆撃飛行隊
ミンダナオ島で降伏
東京捕虜収容所第
2分所(川崎)、品川捕虜収容所、大森捕虜収容所

========