「アンブロークン:第二次大戦時のサバイバル・不屈・贖罪の物語」

ローラ・ヒレンブランド

(公式ウエブサイト)

元オリンピック選手で第二次大戦時に日本軍の捕虜になったルイ・ザンペリーニに関するこの著書は、ニューヨーク・タイムズのベストセラーリストに、34週間載っている。

アマゾンに書評を寄せた1,472人のうち1,280人が、この本に最高ランク(5つ星)をつけた。 以下はその賞賛の一部である。

「語り部として熟練している。並外れて感動的、力強く描かれたサバイバルの叙事詩」        ― ウオール・ストリート・ジャーナル

「野心的で力強い。ヒレンブランドは知的で慎重で、物語自体にそれを展開させる賢さを持っている。彼女のリサーチは周到であり、筆致は研ぎ澄まされている。『アンブロークン』は、ほとんど映画のように、読む者の心を掴んで離さない」   ― ニューヨーク・タイムズ書評


彼女自身の言葉で: NPR (米国営ラジオ) インタビュー
2010年11月20

インタビューはこのサイトで聴くことができます。 NPR Hillenbrand interview  

ローラ・ヒレンブランドは、人々がどういう訳かしばらく忘れていた並外れた運動選手・勇敢な生還者について、2冊の大作を書いた。最初の一冊は大恐慌時代の競走馬の物語「Seabiscuit」だった。

今回彼女は、米空軍(当時は陸軍航空隊)の兵士になった元オリンピック陸上選手―そしてその真の栄誉は競技場から遠く離れた地での試練と忍耐そして強い意思の結果であった―ルイ・ザンペリーニの物語を上梓した。

Unbroken: A World War II Story of Survival, Resilience and Redemption」は、第二次大戦で爆撃手だったザンペリーニを追う。彼が搭乗する飛行機が太平洋に沈んだ時、数年にわたる餓えと捕囚そして残虐行為が彼を待っていた。

ヒレンブランドは、ザンペリーニがカリフォルニア州トーランスでの子供時代、押さえようもないほどのエネルギーに溢れた子供として知られていた、とNPR (米国営ラジオ) のスコット・サイモンに語る。その元気さは、やがて彼をオリンピック選手にまでするのだが、時として、非行まがいの行動にも走らせたという。

「彼は、故郷の町では小さい頃から(オリバー・ツィストに出てくる)アートフル・ドジャーのような存在だったんです。」とヒレンブランドは言う。「本気で家出する少年で、けんかっ早いいたずら者でした。」

ザンペリーニの非行行為は、往々にして盗みだった。「この子は、食べられそうなものなら何でも盗んだんです。よその家の台所に押し入って、出される寸前の家族の夕食を失敬したりしました。」

兄に説得されて陸上に打ち込むようになったザンペリーニは、やっと自分のつもり積もったエネルギーをつぎ込むものを見つけたのだった。彼は、史上最速の高校生ランナーとなり、一マイル走で全米記録を保持することになる。

「走ることが彼を救ったんです。」とヒレンブランドは言う。「彼はかっぱらいが得意なことを一つ持っていました。逃げ足の速さです。ルイは世界的歴史的な俊足を持っていたのです。」

彼はついに1936年のベルリンオリンピックで競うことになった。アドルフ・ヒットラーが彼に目を留め、彼の俊足を褒めたという逸話もある。

飛行士、海に墜落

真珠湾攻撃の後、ザンペリーニは爆撃手になり、第二次大戦太平洋戦線で戦う。当時の爆撃機には技術的問題があり航行能力が限られていたため、その結果、交戦中でなくてもザンペリーニは危険に晒されていた。

「交戦状態に入ることはもちろん、これらの爆撃機に乗ること自体が、非常に危険なことだったのです。」とヒレンブランドは言う。「1万5千人の陸軍航空隊員が国内で訓練中に死亡しました。前線に配置された後も、3万6千人の飛行士が、非交戦事故で死んでいます。」

1943年の5月、それらの現実がザンペリーニの人生を狂わせる。ザンペリーニと彼の搭乗員仲間は、既に墜落していた機を探すため、グリーンホーネットと呼ばれるおんぼろB-24に乗ることになった。彼らがいつも乗っていた飛行機は修理中だったのだ。

グリーンホーネットが解体し始めたとき、彼らは海に不時着水しようとしたが、それはヒレンブランドに言わせれば、搭乗員にとってほどんど確実な死を意味する行動だった。

「救命筏に乗った後に救出される可能性は、ごく僅かでした」と彼女は言う。「筏には粗末な備品しか着いていませんでした。ルイが乗ったものは、特にお粗末なものでした。」

ザンペリーニの筏には、水の缶が数本、チョコレートバーが数本、スクリュードライバーとプライヤーのセットがあるだけだった。生き延びるためには、機知と大胆さが必要だった。

しかしザンペリーニと搭乗員仲間は大胆で、生存のためにあらゆることをした。飲み水確保のためにルイは、エアポンプのケースで雨水受けを作った。食糧確保のために彼らは鳥を捕えた。ルイは、将校のピンで作った釣り針で、ある時は指に結びつけた魚の骨で、魚を捕った。

ある時は、彼らは筏の上で鮫と格闘し、プライヤーで殺した。

47日間の後、ザンペリーニと仲間はやっと陸を発見し、日本船に救助された。そしてしばらく寛大に取り扱われた後、彼らは地獄のような拘置所に送られた。彼らの唯一の食糧は、汚い床に放り込まれる一個の握り飯だけだった。

「床は汚物でまみれ、ウジがわいていましたが、捕虜はその握り飯を拾わなければなりませんでした」 とヒレンブランドは言う。「彼らの水は、毎日与えられる湯のみ一杯のお茶でした。」

ザンペリーニと仲間の捕虜は、肉体的虐待そして生体実験の対象にもなったという。その多くの残虐行為は、捕虜の間で Bird して知られた、ワタナベ・ムツヒロによって為された。
(ワタナベは自分のことを話題にされるのを嫌ったので、捕虜たちは日本人監視それぞれにあだ名を付けていたと、ヒレンブランドは説明する。)

ワタナベは美男子で裕福で、日本社会では上流階級出身の若者だった。しかし彼は将校になり損ねており、その恨みが、捕虜特にザンペリーニに対する虐待を煽る一因となっていた。

「彼は、将校の捕虜、民間人として成功していた者、そして反抗的な者に執着していました。」とヒレンブランドは言う。 「ルイは将校で、中尉で、そして世界的に有名なオリンピック選手で、激しいほどに反抗的でした。この二人が出会ったからには、それは多かれ少なかれ、戦争終結まで続く対決となったのです。」

「ワタナベは、見せしめのためにザンペリーニに恐ろしい残虐行為を加えました。ついにザンペリーニと仲間の捕虜たちは、彼を殺す計画を立てたのです。」 その計画は捕虜たちにとって、問題解決としてではなく、方法として重要な意味を持っていたと、ヒレンブランドは説明する。

「捕虜たちはさまざまな方法で、彼らの尊厳を保ち、抵抗する方法を見つけようとしました。」「その一つは、彼らがこの男を殺すという計画を立てたことです。」 それが成功するかどうかは、ほとんど問題ではなかった。目的は彼らの尊厳を保つことだった。

深い悪夢に取り付かれた男

ザンペリーニは生還した。しかしカリフォルニアに帰還した彼に、新しい闘いが待っていた。彼の体験を克服することだった。

「ルイは、深い深い悪夢に取り付かれた男として帰ってきました。叫んで飛び起きるような酷い悪夢です。Bird と戦い Bird に殴られ、Bird を絞め殺そうとする夢です。」

現代なら、ザンペリーニの葛藤は心的外傷後ストレス障害(PTSD)として診断されたであろう。

「肉体的には戦争は終わりましたが、精神的には終わっていませんでした。終結には程遠かったんです。」

戦時中ザンペリーニは、生き延びるために何をしなければならないか、明確に知っていた。平和時にあってはそうではなかった。

「戦時中の難局で彼が対応しなければならなかったことは、全て肉体的に耐えることでした。」ヒレンブランドは言う。「筏の上でどうやって飲み水を得るか、次の魚をどうやって捕えるか。一方、彼は精神的にも傷ついていました。これは、多くの捕虜に言えることですが、彼らは難局の中では何とかそれから逃れることができたのですが、一旦危機を乗り越えるや、あらゆる感情が彼らの中で爆発したのです。」

しかしザンペリーニは勝ち抜いた。彼は今も生きている。1998年の長野オリンピックで聖火を持って走るために日本を再訪した時、ある程度の終結に到達した。

彼は、かつて捕虜として収容された直江津の町を聖火を掲げて走った。今回は、歓声と拍手が彼を出迎えた。

「その地に戻り、そのような終結を見たことは、そして全ての憎しみを過去のものとできたことは、彼にとって美しい体験でした。 とヒレンブランドは言う。

ザンペリーニの驚くべき勝利にも拘わらず、ヒレンブランドは、彼女の著書の中でほとんど彼を英雄扱いしていない。彼女は、彼の物語に、その種の体験の単なる一つの例となって欲しいのだ。

「ルイは、間違いなく英雄です。」と彼女は言う。「私は、彼がこの国のためにしたことに、本当に感動させられます。でも、彼の回りで同じようなことをした多くの男達から、彼を引き離したくありません。彼らは全て類まれな人々です。私は彼に、それらの人々から抜きん出るのではなく、彼ら全ての代表になって欲しいのです。」
 

日本の人々へのメッセージ

ヒレンブランド氏は、最近以下のようなメッセージを当ウエブサイトに寄せました。

「アンブロークン」を書かずにいられなかった理由は二つありました。先ずそれが、それまで私が聞いたこともない類まれな想像を絶する実話だったからです。およそ理解し難いような苦難と挑戦に立ち向かった第二次大戦の兵士の 、息を呑むような物語です。

でもこれは、一兵士の冒険談を遥かに越えたものです。私は、この物語が、太平洋地域に第二次大戦をもたらした日本と米国の中にあった勢力を研究し、抗争に関わった全ての人々に理解と癒しをもたらす機会を提供していると、考えました。ルイ・ザンペリーニの人生は、赦しが持つ力を証明しています。私の本を読んで下さる日本の方々が、そして世界の全ての読者が、この本に勇気付けられることを願っています。
 

映画化と翻訳

ユニバーサル・ピクチャー社がこの本の映画化を進めていると、報道されている。

この本の翻訳権は、23の外国語に売られたが、日本語は含まれていない。

最近のザンペリーニ氏関するテレビ番組

http://www.youtube.com/watch?v=F0pulc6kDsk



私自身も2003年、ザンペリーニ氏に会 ったことがある。残忍だった日本人監視(
Bird)に、もう全てを赦していることを伝えたいので、彼に会えるよう手伝って欲しいと頼まれ、感動したことを覚えている。

「アンブロークン」が日本でも翻訳され、多くの日本人読者の心を打って欲しいと願う
                          
(徳留絹枝)
                            
                                               
                                                      
                         
                                         2011年7月23日掲載

                                                                      


  月刊 『潮』 に掲載された徳留絹枝のヒレンブランド氏へのインタビュー記事は、こちら