「捕虜:日米の対話」 4年目を迎えて

徳留絹枝 伊吹由歌子からのご挨拶
2008年1月1日

私たちのウエブサイト「捕虜:日米の対話」は、その運営が4年目に入りました。2004年11月にスタートして以来これまで、10万回近いアクセスがありました。

私たちのプロジェクトは最初から一貫して、友情と対話を念頭に置いたものでした。

徳留絹枝のストーリー

私が、バターン死の行進と三井炭鉱での強制労働から生還したレスター・テニー博士に初めてインタビューしたのは1999年の春、長崎原爆に関する記事のためでした。彼がご自分の回想録 『My Hitch in Hellに、長崎原爆のきのこ雲を目撃したと、書いていたからです。

でも私が心を打たれたのは、テニー博士の次のような言葉でした。

私は日本人を憎んでいません。人を憎み続けるということは、自分を傷つけることだからです。日本の若者に、戦争中に起こったことについての責任はありません。もし私が日本に行って(戦争中)何が起こったのか若者に語りかけることができるなら、とても素晴らしいやり方でできると思います。私は彼らに、過去を恥じることはないと伝えたいと思います。人生とはそういうものです。私たちは過去から学び、そして前進しなければなりません。

私はその言葉を聞いたとき、テニー博士が日本人と交流するのを手伝うため、できる限りの努力をしようと決心したのです。
 

その後、テニー博士と多くの元日本軍捕虜たちは、彼らを奴隷のように使った日本企業を相手取り、米国内で訴訟を起しました。

私は1999年の12月、テニー博士が第二次大戦中に強制労働に就かされていた大牟田の三井炭鉱跡地を訪ねた時、同行させてもらいました。


(写真:大牟田訪問中のテニー博士、べティ夫人、息子のグレン・テニー氏、テニー家にホームステイして以来テニー博士が日本の息子と呼ぶ田坂徹氏と澄子夫人、そして徳留絹枝が同行)


その後数年間、私は捕虜強制労働訴訟に関する記事を、日本の月刊誌に書きました。しかし、テニー博士がご自分の捕虜体験を日本人と共有するのを助けたいという、私の当初の願いは変わりませんでした。

伊吹由歌子のストーリー

私は2000年に、横浜の英連邦戦争墓地でテニー博士に会いました。この墓地には、日本国内で捕虜として亡くなった1700人あまりの英連邦国の将兵が眠っています。48人のアメリカ人と21人のオランダ人捕虜の遺骨も納骨堂に納められています。テニー博士は、毎年市民団体が開いている追悼式に、ゲストスピーカーとして招かれたのでした。

それまで英国で元捕虜とその家族たちがあらわす冷たい拒否の態度は知っていたので、わざわざ日本人に自分の体験を話しにやってきたこの元捕虜には、大変感銘を受けました。

(テニー博士のスピーチから)

天にまします神よ、今日私たちは、祖国のために誉れ高く戦い若い身空で不必要に死んだ兵士たちを追悼するため、ここに集います。死んでいった同志に私たちが捧げられる最高の栄誉は、日本が束の間の勝利を味わった第二次大戦緒戦において、彼らが耐えなければならなかった地獄のような体験を、思い起こすことです。過ぎ去った57年間の多くの日にそうしたように、私たちは、あなた方が神に召される前に味わったであろう苦痛に思いを馳せます。

私は今日、心優しい人々に囲まれて、あることを学びました。それは、私たち全員が家族であり、互いへの関心と思いやりを持ち、世界の全ての人々にとって大事なことのために行動を起す準備と心構えを持っているということです。私たちはそれを成し遂げることができます。なぜなら、私たちは喜んで手を差し伸べ合おうとしていますし、信条と祈りで結ばれているからです。

ここに眠るあなた方は、神と共に孤独な道を歩みました。あなた方を神の御心に応えた人々です。それ故、あなた方は忘れられることはありません。あなた方は常に私たちの心と思い出の中に生きているのです
 テニー博士:英連邦戦争墓地で

インターネットで彼と話を始めた私は、教えていた女子高の英語授業で、彼の体験を教材に使う許しを請いました。生徒たちはショックを受けながらも努力をして、学校のコンピュータ室から、ひとりひとり、テニー博士へお手紙を送りました。その25人のひとりずつに、彼女と話が出来てとても嬉しいと、彼は返事を書いてくれたのです。

この交流はかかわった者たちすべてに非常によい体験であったので、2001年には、私はテニー博士とベティ夫人を日本へ招待しました。何かすばらしいことに使いたいと考えていた母の遺してくれたお金をそれに当てました。教授たちや先生方その他の友人の助けで、小学校から大学院まで11校の13の会場で、テニー博士と若者たちの対話を実現することができました。彼は、心温まるユーモアにあふれたマジック・ショーを準備して現れ、若者たちのこころをひきつけ、開いたのです。彼らは笑い、愛する友を失い暴力を受けた恐ろしい体験に涙し、テニー博士とベティ夫人が大好きになりました。彼は言いました、「私の経験にたいして君たちが謝る必要はない、でも自分の未来について君たちは責任があるんだよ。」彼のスピーチは若いこころにひびく真の励ましとなりました。生存の可能性への強い信念、家族と友達への強い愛、前向きで暖かい人柄が日本の学生たちに大きなインパクトを与えました。


テニー博士はことのき、著書、「My Hitch in Hell: Bataan Death March」を私にプレゼントしてくれました。それを読んだ私は、捕虜体験のもっとも残酷な部分を、彼は生徒たちに話 さなかったことに気付いたので、3人の友人の賛同を得ていっしょにその本を翻訳しました。小さいが良心的な出版社をどうにか見つけ、2003年、「バターン 遠い道のりのさきに」として出版することができました。日本軍の捕虜であった一般人の体験が日本語で手に入るようになった最初の本でした。

日本で唯一、国立で中国と太平洋での戦争に関心を持つ佐倉歴史博物館の学芸員により、昨年8月、中央公論で紹介されています。

心に残る出来事

テニー博士の回想記が日本で2003年に出版された時、私たちは出版記念会を開き、彼が日本の国会議員と交流するお手伝いをしました。その折テニー博士のスピーチを聞けたことは、私たちにとって最も誇らしい出来事でした。

テニー博士のスピーチ(2003年3月18日、衆議院第二議員会館)

2004年までに、私たちはさらに多くの元捕虜と出会い、彼らの捕虜体験を学びました。それぞれのストーリーがユニークで感動的でした。私たちは彼らの体験談を日本の人々に伝えたいと思いました。日本軍の捕虜になったアメリカ兵の歴史に、人間の顔を与えたかったのです。私たちは、ウエブサイトをスタートしました。

2006年1月私たちは、4人の元捕虜と40人あまりの捕虜の子供たちと共にフィリピンを訪れ、その地で日本軍の捕虜になったアメリカ兵の辿った道を旅しました。私たちは、バターン・コレヒドール・オドネル収容所、カバナツアン収容所、ビリビッド刑務所などの場所を訪ねました。それまで元捕虜の友人たちから何度も聞いていた場所を実際に訪れたことは、私たちにとって忘れ難い体験でした。私たち2人は、捕虜を輸送した地獄船を追憶する記念碑の、スービック湾での除幕式に出席した唯一の日本人でした。
 
オドネル収容所跡地での伊吹 

元捕虜の方を日本国内の収容所跡地に案内したり、捕虜に関連するニュースをウエブサイトを通じて伝えたり、元捕虜の方々のお手伝いができることは、私たちにとって何よりの喜びでした。また、数多くの対話をスタートさせることもできました。

私たちが心から願っていることは、元捕虜の友人たちが私たちの政府である日本政府と彼らに奴隷労働を強いた日本企業から、誠意ある謝罪を受け取ることです。ドイツのヨハネス・ラウ大統領が1999年に、ナチ奴隷・強制労働の被害者にした次のような謝罪を、彼らもどれだけ欲しているか、私たちは知っているからです。  

私は、多くの被害者にとって本当に大事なのは金銭ではない、ということを知っています。彼らは、自分の苦しみが苦しみとして認められ、自分たちに加えられた不正が不正と呼ばれることを、求めているのです。私は、ドイツの支配下で奴隷労働と強制労働を課せられた全ての人々に敬意を表し、ドイツ国民の名において赦しを請います。私たちは彼らの苦しみを忘れません。

元捕虜は今や80代後半あるいは90代前半です。彼らは、戦時中の苦しみに何らかの終結を与えたいのです。

私たちの大切な友人でADBCの代表を2度務めたエドワード・ジャックファート氏の穏やかながら決意に満ちた言葉 「私は命ある限り、この正義への戦いを続けます」を、忘れることはできません。

ジャックファート氏と、2008年春にADBC最後の代表になるテニー博士は現在、福田総理大臣から謝罪を受け取る為の面会を求めています。そのような謝罪こそ、元日本軍捕虜の団体として
62年間活動してきた彼らの、最後を飾るものとして本当にふさわしいと思わずにはいられません。  
                                       
     ジャックファート氏と徳留 

ーファー大使に福田総理との面談アレンジを依頼するテニー博士の手紙

私たちのウエブサイトが4年目を迎えるにあたり、これまで支援し励まして下さった全ての方々に感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。その多くは私たちの大切な友人となりました。そしてその他の人々は、私たちが名前を知ることのないウエブサイト訪問者の方々です。それらの方々にもまた、ウエブサイトで体験を知りえた元捕虜の方々に、友情を感じるようになって欲しいと願っています。

私たちは赦すことの持つ美しさを教えてくれた元捕虜ドナルド・ヴァーソー氏に感謝します。
 

私たちの深い感謝を、クレイ・パーキンス氏と夫人のドロシーさんに捧げます。ウエブサイトをスタートするために徳留が申請したグラントが貰えず、諦めかけていた時に、お二人は支援を申し出て下さいました。お二人はその後も引き続き、素晴らしい友人であると同時に、私たちの活動を支援して下さっています。

お二人が私たちのウエブサイトプロジェクトと、それを通して私たちがしようとしていることを、完全に信頼してくださることに、感謝します。

ドロシー夫人、ブッシュ夫妻、クレイ・パーキンス氏

私たちは、このウエブサイトがこれからも友情と対話の場であり続けることを願っています。